蒼冠塾


福 光 二十三



福島文化会館滞在二日目、山本伸一は、早朝

から、福島県、東北の愛する同志に贈るために、

山と積まれた書籍などに、次々と激励の一文を

認(したた)めていた。

その後、福島県の幹部らと懇談し、午後一時半

過ぎからは、文化会館の庭に立つ、歴代会長

の碑の除幕式に出席した。

伸一が紅白の紐を引くと、白布が取り除かれ、

黒御影石(くろみかげいし)に彼の筆で、「妙法の 

広布の旅は 遠けれど 共に励まし とも共に

征かなむ」との、戸田城聖の歌が刻まれた碑が

姿を現した。同時に、初代会長・牧口常三郎の

「学会精神」、戸田の「大願」などの文字が刻ま

れた石碑が、一斉に除幕された。

伸一は、戸田の歌碑の横に立つ碑文に、じっと

視線を注(そそ)いだ。

この碑文を作ったのは伸一である。


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そこには、こう認められていた。

「我ら戸田門下生は 広宣流布のその日まで勇

んで三類の嵐を乗り越え 恩師のこの和歌を永

遠の原点となし 異体を同心として 仏意仏勅

(ぶついぶっちょく)のために共戦(きょうせん)しゆ

くことを ここに誓うものなり」。そして、「我が創

価門下はすべからく 生々(しょうじょう)世々 

代々(だいだい)の会長を中心に折伏弘教に邁進

(まいしん)すべきことを ここに書きとどむ」と結ば

れていた。

彼は、福島の同志に語りかけた。

「福島は、何があっても、この精神でいくんだよ。

創価門下ならば、いつ、いかなる状況に置かれ

ようが、広宣流布の歩みをとどめてはならない。

大聖人が『月月・日日につよ(強)り給へ・すこし

もたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし』

(御書一一九○㌻)と仰せのように、進まざるは

退転につながる」

次いで伸一は、庭の一角にある池で、鯉の放

流式に臨(のぞ)んだ。

県の幹部が、彼に言った。

「この池には、まだ名前がありません。ぜひ、

命名をお願いしたいのですが……」

「わかりました。では『生々(しょうじょう)の池』に

しましょう。永遠の生命の意味です。また、私た

ち創価の同志の絆も永遠だからです」


     =2011年9月28日・聖教新聞=