最近、ちょっと

不思議だなと思うことがあった。




少し前にミヤシタパークに行って、

推し活をしてきた。




そのときのことは

前にもブログに書いけど

あの日は、ちゃんと楽しめた。





無理してじゃなくて、素直に。





もちろん、

ゆらのことを思う気持ちはそのままあるし、

悲しみも寂しさも、消えたわけじゃない。





でもあのとき、ふと

「運がいいとか悪いとか、気にするな」って

言われたような気がした。





本当かどうかは分からないし、

ただ自分がそう感じただけかもしれないけど。





それから少し、

考えすぎるのをやめてみた。





意味を探したり、

理由を考えたり、





なんでこうなったんだろうって

深く考えるのを、

いったん置いてみた。





それはそれ、って。





そしたら、なんとなく

流れが変わった気がしてる。





元上司から連絡がきて、

会いたいって言ってもらえたり、




出張で来る同僚とご飯に行くことになったり、




前から気になってた人と予定が合ったり。





ゆらの友達にも、

少し勇気を出して連絡してみたら、

ちゃんと会えることになった。





別の人からも

「元気になった?」って連絡がきて、

ランチに行くことになったり。





今朝は、

ずっと

「ご飯行こうね」って

言ってた同僚から

タイミングよく連絡がきて、

やっと会えることになった。





今日は

長年お付き合いのある

社労士さんとも会って、

不安な事、たくさん話して、

気持ちも少しスッキリした。





なんか、

ひとつひとつが無理なく、




スーッと決まっていく感じ。






もちろん、

休職中で

時間があるからっていうのもあると思う。





でもそれだけじゃなくて、





少しだけ

自分の気持ちが軽くなったことも

関係してるのかなって、

なんとなく思ってる。





ゆらと一緒にいるっていうのも、

理屈じゃなくて、

そう思える瞬間があって。





本当なのかは分からないし、

寂しさも消えないし、





「ほんとなのかな」って

思う気持ちも、

やっぱりある。






でも、


それでもいいかなって、

少し思えてきた。





私は、ゆらのことを信じたい。






そう思える気持ちが、

前より少しだけ強くなってきた気がする。






今は、

たまたま少し軽いだけかもしれないし、

また戻る日もあると思う。





それでも、


こういう日もあるんだなって

思えたことが、

今の私には大きい。





休職して、

ちゃんと向き合う時間があったからこそ、

感じられていることなのかもしれない。

経済的には厳しいのも確かです。





悲しみはなくならないけど、


その中で、少しずつ

自分の感じ方が変わってきている。




ゆらを信じる気持ち


そんな今です。








お読みいただき

ありがとうございます。







先日のGW

推し活へ出掛ける前、 

ゆらの仏壇へ



「今日も楽しくなるように見守ってね」




そう声を掛けました。




すると、

頭の中に言葉が入ってきました。




「いちいち、

運がいいとか、悪いとか気にするな」





電車で座れた、ラッキー。 

座れなかった、今日は運が悪い。




私は昔から、 

そうやって何でも意味を探したり、

感じ取ろうとするところがあります。




スピリチュアルや引き寄せに興味があって




ゆらが亡くなってからは特に、 

何かメッセージがあるんじゃないかって、 

いろんなことを考えるようになっていました。





でもその時、


「あー、そーだよな」


って妙に納得しました。





その日は、 

渋谷のミヤシタパークで開催されていた 

Number_i の

Spotify × Number_i 

3XL i-Charger Station


いつも一緒に推し活している先輩と

行ってきました。





GW最終日なら、

少し空いてるかなと思って。




ミヤシタパークは、 

どこもかしこもNumber_iの

サイネージでいっぱいで、 

ファンにはたまらない空間でした。








スタンプラリーで館内を歩き回って、 

動画が流れている

フードホールでご飯を食べて、 

朝から夜まで幸せな時間でした。










ゆらへの想いは、もちろんありました。





でも、

その日は “楽しむ”方へ

ちゃんと気持ちが向いていた気がします。




動画がよく見える席にも座れたりして、 

以前の私だったら、 




「今日は運がいい」とか、 

逆に少し何かあると「悪い」とか、 

いちいち意味を考えていたと思います。





でもこの日は、 

その場その場を楽しめていました。 





帰りの電車では、 

その日撮った

写真や動画を見るのに夢中になっていて、 

斜め前の席が空いたのに気づかず、 

別の人が座ってしまいました。





「あっ、気づかなかった!」


ってちょっと動揺しながら、


「ゆら〜、座れなかったぞ〜」


なんて思っていたら(笑)



今度は後ろの席が空いて、

座れました。





でもその時も、 

朝、感じた言葉みたいに、




“いちいち意味を探さなくていい”




そんな感覚でいられました。




今を楽しむ。 

その場を感じる。




ただそれだけでよかったんだなって。




だからといって、 

すごく元気になった訳ではなくて




フラッシュバックもあるし、 

ゆらの写真ばかり見て悲しんでます。




それでもこの日は、 

少し肩の力を抜いて、 

“今を楽しむ” 

そんな感覚で過ごせた一日でした。 




以前載せたブログ

「ゆらに叱られた」

あの日から、 



少しだけ、 

物事の見方が変わったように思います。








お読みいただき

ありがとうございます

























先日、

ゆらの親友に会ってきました。



やっと会えた。

幼稚園からの親友。



本当は去年の12月にも

会える機会があったけれど、
まだ私の気持ちが

追いつかなくて行けませんでした。




ちょうど

ゆらの誕生日の時期でもあったし、
親友に会うことが、

まだ苦しかったんだと思います。




会うのは、形見分け以来でした。




ゆらは、

友達の中でも

特に親友の仕事を応援していて、
よく会いに行っていました。




きっと今も、
1番

会いたい相手なんだろうなって

思っていました。




だから今回、
親友のママと一緒に

会いに行ってきました。




その日は朝から、

「今日、会えるんだ」

と思っただけで涙が溢れて。




でもその涙は、
苦しいだけじゃなくて、




やっと会える状態になれたんだなっ

ていう気持ちもあった気がします。




実際に会うと、
本当に輝いて見えて。

「ゆらも嬉しいだろうな」

そんなことを思いながら過ごしていました。





そして、

親友が出てきてくれた瞬間、
また涙が溢れました。




写真を撮って、
記念の品も買って、
記念になるものまでいただいてしまいました。





その日は、
ゆらがよく着ていた服を

着て行きました。




その時、親友が、

「ゆらの服、着てるんだ」

って言ってくれて。




親友も、
形見として受け取った

アクセサリーと靴を、
今も大切に身につけてくれていました。





私は、

「ゆらには及ばないけど、

やっと会いに来れたよ」

そう伝えました。




そしたら親友が、

「そんなことない。

〇〇ちゃんは(私の事名前で呼んでくれてます)

ゆらの分身だから」

って言ってくれて。



本当に嬉しかった。




ゆらもきっと、
喜んでいたと思います。




その後、嬉しくて。

ゆらが亡くなってから、
お酒は飲んでいなかったけれど、




久しぶりに、
ママ友と一緒にビールを飲みました。




嬉しくて、悲しくて、 

でもやっぱり会いに行けてよかった。












お読みいただき

ありがとうございます






父のお葬式の日も、雨でした。 



スカイツリーへ行った日も大雨で、 

景色はほとんど見えなかったけれど、 

みんなで笑って過ごした大切な時間でした。 








そして父を見送る日も、また雨でした。 




父のお葬式は、 

とても“父らしい”ものでした。 



父は友達も多く、 

親戚付き合いも大切にしていた人でした。




だから家族だけの

静かなお葬式ではなく、 

たくさんの人に来てもらえる

一般葬にしました。 




寂しいお葬式にはしたくなかった。 

それが、家族みんなの想いでした。 




会場では、 

父がよくカラオケで歌っていた 

北島三郎さんの歌を流しました。 




遺影は、笑顔の父の写真。 

背景は、 

父が大切に手入れしていた庭を思い出して、 

つつじの背景を選びました。

あの背景は父らしい気がしました。 




お通夜が終わった後は、 

家族の待機室に親戚が集まり、 

自然とお酒が始まりました。 




いとこや親戚、 

そこにゆらも加わって、 

みんなでたくさん冗談を言いながら

過ごしていました。 




田舎の親戚と、 

東京に住んでいるゆら達との

会話のギャップも面白くて、 



みんなで笑って。 




結局、つまみが足りなくなって、 

コンビニまで買いに行って、 

夜通し飲んでいたみたいでした。 





悲しい時間のはずなのに、 

どこかあたたかくて、賑やかで。 




「いいお通夜だったね」 

みんな、そう言っていました。 




きっと父も、 

その中に混ざって

笑っていたんじゃないかなと思います。 










生前の 父とゆら





そしてそのまま、お葬式、火葬場へ。 




娘はその頃、 

胃がんの手術を終え、 

抗がん剤治療をしながら、 

ウイッグをつけて

父の葬儀に参列していました。 




そんな心配も抱えながらの時間でした。





火葬場でも、 

従兄弟や親戚はまた飲み始め、 

ゆらも娘も、 

みんなで父を待っていました。 





冗談を言いながら、 

笑いながら、 

父の話をしながら。 




父もきっと、 

そんな時間を喜んでいたと思います。 




火葬が終わって、 

父の骨と対面した時、 




「やっぱりお父ちゃんだわ……」

 そう思いました。 




父の骨は、太くて立派で、 

どこか“自然児”だった父らしい骨でした。 




骨壷には到底収まりきらないほどで、

火葬場の方にも 

「立派な御骨ですね」と言われました。 




なんだか最後まで、 

父らしいなと思いました。 




父らしく生きて、 

父らしく見送られた。

そんなお別れでした。 



そして、お葬式が終わったあと、 

空には虹が出ていました。 




雨上がりの空に出た虹を見ながら、、、



「あぁ、お父ちゃん、旅立ったんだな……🌈」 



そんなふうに感じたのを覚えています。




私は、そんな父が大好きでした。





そして――その1年後、 





ゆらが旅立ちました。 





あの時は、 

こんな未来が来るなんて、 

思ってもいませんでした。 





父を見送った時、 

私はちゃんと

お別れができたと思っていました。 





でも、 

大切な人を失う悲しみは、 

ひとつひとつ形が違うんだと、 

あとから知ることになります。 





それでも、 

父を見送ったあの時間は、 

悲しいだけじゃなく、 




“ありがとう”がたくさん詰まった時間だった。

今は、そんなふうに思っています。










お読みいただき

ありがとうございます









父は最後まで、

自分らしく過ごしていました。



体調が悪くなっても、

できることは自分でやっていました。

母には、威張っていたけど…




やがて入院となり、

余命がわずかだと告げられました。




自宅で看取る選択もありましたが、

父は「大変だから」と

入院を選びました。




ある日、父に言われました。

「オムツ替えてくれ」




母と二人で、

父のオムツを替えました。




父は肺に転移していて、

とても苦しそうだったのに、

それでも自分の足で立って、

替えさせました。




あの姿は、今でも忘れられません。




きっと父は、

ただ介護されるだけじゃなくて、




「自分の意志で」

「家族とちゃんと関わって」

その時間を

残したかったんじゃないかと思います。




もしかしたら、最後にひとつ、

“娘として関わる時間”を

くれたのかもしれません。




私は、あの日一度だけでも、

父のオムツを替えることができて、

よかったと思っています。




その後、

たくさんの親戚や兄弟が会いに来てくれて、




ゆらと娘も、

東京から会いに来てくれました。




そして最後に駆けつけた時――




私は、18歳で東京に上京して、

学校へ通い

そのまま戻らず、

東京で就職して結婚しました。




たくさん心配もかけたし、

遊び呆けて、

両親を悲しませたこともありました。




そんな私に、父が言った言葉があります。





「俺はお前のことを、

1日たりとも忘れたことがないんだぞ」




あの時、

父がどんな気持ちでいてくれたのかを知りました。




だから私は、



「おとうちゃんの子どもに生まれてよかった」



「ありがとう」



そして、


「ワガママな娘でごめんね」



そう伝えることができました。





父の手足は冷たく、

足はむくんでいて、




私はずっと、

その足をさすっていました。




父は、2024年6月12日。

静かに旅立ちました。

(偶然にも義理父の誕生日でした 既に13年前に天国に還ってます)



――あの時間は、 

父の生きる力を最後まで感じながら、 

しっかりと見届けることができました。 




モニターが、 

一直線になっていくのを、 

その場で見ていました。 




悲しかったけれど、 

父らしく旅立った姿を

見送ることができました。







最期に触れた、父の手

グローブのような父の手が大好きでした






お読みいただき

ありがとうございます









 

父がある時、



「一度でいいから

スカイツリーに行ってみたいな」と




話したことがありました。




その言葉が

ずっと心に残っていて、

私はその願いを

叶えたいと思いました。




でも

その頃はコロナの時期で、

なかなか外出ができず、

思うように動けませんでした。




それでも

少し落ち着いた頃に、

家族みんなで行くことができました。

ゆらも一緒に。




田舎から出てきて、

満員電車に乗って向かった

スカイツリー。




慣れない電車に揺られながら、

みんなで同じ場所に

向かっていく時間も、

なんだか特別でした。





でもその日は大雨で、

上に登っても

景色はほとんど見えませんでした。




それでも不思議と、

「残念だったね」よりも、

「楽しかったね」

そんな気持ちの方が大きくて。




食事も少し奮発して、

その日は全部、

私が出しました。




今までの感謝を、

少しだけ返せたような気がしました。




父も、

本当に嬉しそうに見えて。





あの時、

私の家族みんなが揃って、

笑顔で写真を撮りました。





今でもその写真を見ると、

みんな幸せそうで、

あの時間が

そのまま残っている気がします。





でもその2ヶ月後、

父の胃がんが見つかりました。





「冥土の土産になっちゃったよ」

父は冗談っぽくそう言っていたけれど、




私はその言葉を、

どこかで受け止めきれていませんでした。




きっと大丈夫。

うちのお父ちゃんだから。





そう思いながらも、

心のどこかでは、ずっと怖かった。




もしあの時、

この後に




父ががんになって、

娘も同じ胃がんになって、

父が他界して、

ゆらが倒れて、旅立つ、、、




そんな未来があると分かっていたら、





親孝行とか、

スカイツリーとか、

行かなきゃよかったって、、、




思ってしまう自分もいます。





でも――

この写真を見ると、

やっぱり、

行ってよかったって思うんです。




AIが晴れにしてくれた(笑)




あの日の時間は、

確かにそこにあって、

ちゃんと、家族みんなで笑っていたから。





そして先日、 

グリーフケアのみなさんと一緒に、 

もう一度スカイツリーへ行きました。 





正直、

思い出が多すぎて、 

行くのを少し躊躇っていました。 




でも―― 

あの時のスカイツリーは、 

本当に家族で

楽しかった思い出だから、 




それをなかったことにはしたくなくて。 





だから、 

もう一度行こうと思えました。 




同じ場所なのに、 

あの時とは違う自分で立っていて、 




それでもやっぱり、 

ちゃんと繋がっている気がしました。 





あの日の時間は、 

終わったものじゃなくて、 

今の私に続いているんだと感じました。

















お読みいただき

ありがとうございます








今回は、

父のグリーフについて

触れてみたいと思います。 



これまで、

ゆらのことを書くことが

多かったけれど、 




私の中には、

父を見送った悲しみも、

今もちゃんと残っています。 




ただ正直に言うと、 

ゆらの時とは、

また違う感覚があります。





父との別れは、

順番としての別れで、 

闘病の時間もあり、 

その中で、

しっかりと想いを伝えることができました。





精一杯

生ききった姿を見ていたからこそ、 

どこかで受け止められている

自分もいます。 





それでもやっぱり、 

いない寂しさや想いは、

今も残っています。 





少しずつ、

その気持ちにも向き合っていけたらと思い、

書くことにしました。




父は、がんになってからも、 

最後まで“父のまま”の人でした。 

(娘と同じ胃がんでした)





庭をきれいに整えて、 

畑仕事をして、 

魚釣りに行って、 

山芋を掘り、

山菜を採る。 




体調が万全じゃなくても、 

できることはやる。 




無理しているというより、 

それが“当たり前”の人でした。 




母には少し甘えていたけれど、 

それも父なりの信頼で、 

母も文句を言いながら、

どこか誇らしそうでした。 





今でも母は、 

庭や畑の話をしながら 

「うちのおとうちゃんみたいな人はいない」と、

よく言います。 





父は55歳で一度仕事を辞めて、 

その後また働きながら、 

自分のやりたいことを

大切にして生きていました。 





あゆ釣り、畑、そば打ち、カラオケ。 

どれも“趣味”というより、 

プロ並みなんじゃないかと思うくらいの

腕前でした。 





道具も一から揃えるけれど、 

ただ買うだけじゃなくて、 

自分で工夫して、

使いやすいように手を加える。 





お金をかけるというより、 

自分で考えて、

自分の手で整えていく。


 



昔の人って、

こういうところがあるなって思います。 




“あるもので工夫する力”みたいなものを、 

父は自然に持っている人でした。 




どれも本当に楽しそうで、 

“自分の人生をちゃんと生きてる人”でした。 




私はそんな父が大好きでした。 




私が子どもたちを連れて帰省すると、 




畑仕事の帰りだったのか、 

山芋掘りの帰りだったのかは

分からないけれど、 




作業を終えた父が、 

大きな声で 




「帰ってきたんかぁーー!

野菜、何持ってくーー!」と、




明るく迎えてくれて、




その声を聞くと、 

なんとも言えない、

あたたかい気持ちになったのを

覚えています。





小さい頃、

たくさん遊んでもらった記憶は少ないけど、 




畑に連れて行ってくれたり、 

釣りに一緒に行ったり、 




近くでその背中を見ていた時間が、

今も残っています。 





時々作ってくれたカレーは、 

お肉がたくさん入っていて、 

それがすごく嬉しかった。 





そんな何気ないこと全部が、 

今はとても大切に思えます。



 

こうして思い出すたびに、 

実家へ帰省するたびに、 




庭に父がいない、 

畑にもいない。 




あの声も、もう聞こえない。 




あるのは、 

変わらずそこに停まっている

父の車だけ。 




そんな現実に、 

ふとした瞬間に気づかされます。













お読みいただき

ありがとうございます













実家に帰っていました。 

父が他界してから2年。 

母は今、ひとりで暮らしています。 




あと何回会えるのか分からないから、 

行ける時には帰ろうと思っています。 




でも帰ると、

やっぱり私は変わらなくて。 

ごはんは用意されていて、 

洗濯も終わっていて、 

起きれば朝ごはんが出てきて、 

お茶まで入れてくれる。 




テレビを見ていれば、 

いつの間にか片付けまで終わっている。 




買い物に行けば、 

美味しいものをたくさん買ってくれて、

畑の野菜まで持たせてくれる。 




結局私は、

何もできないまま帰ってくる。 




実家に帰ると、 

いつまで経っても“ドラ娘”。 




そんな自分のまま家に戻って、 

ゆらに報告しました。 




すると―― 

ゆらに、

叱られた気がしました。 




「当たり前を当たり前に思うな」 

「ちゃんと感謝しなよ」 

「悲しいのはお母さんだけじゃない」 




優しい言い方じゃなくて、 

ちゃんと私に向けて言ってる感じ。 




あぁ、これゆらだなって思った。 




さらに、

 

「俺にもできることと、できないことがある」 

「依存みたいになったら、やらない」 




そう言われた気がして、




 少し寂しくなって 

「辛いよ」って返したら、 




「いつも一緒にいるって言ってるじゃん」 

「それでも辛いなら、それは課題だよ」って。




 もう、言い方も全部、ゆらっぽくて。 




私は思わず、 

「はい…そーだよね」 

「その通りだよね」 

「すみませんでした」って、 



本当に目の前にいるみたいに 

謝りたくなりました。 




ゆらだったのか、 

神様だったのか、 

ハイヤーセルフだったのか。 

それとも、私の中の深い部分が 

言葉として現れただけなのか。 

分かりません。 




でも―― 

不思議なくらい、 

納得できました。




ゆらは、自分の人生をちゃんと生きて、 

やりきって、還っていった存在。 





だからこそ、 

今の私よりも 

高い視点から見ているのかもしれない。 




そして私は、

まだこの世界でやることがあって、 

向き合う課題が残っている。 




だから今、ここにいる。 




そう思えた時、 

少しだけ、 

自分の今を受け入れられた気がしました。 




見えないけれど、 

ちゃんと見てる

そんなふうに感じた一日でした。







お読みいただき

ありがとうございます
















誕生日を迎えて思ったこと



今年の誕生日も

ちゃんと幸せな時間を過ごしていました。



主人に

「何が食べたい?」と聞かれて、



私は迷わず

「お肉。ステーキが食べたい」と

リクエストしました。



主人が探してくれたステーキ屋さんで、
300gのステーキをお腹いっぱい食べて、





娘も仕事を早く終わらせて

一緒に来てくれて、
「美味しいね」って

笑いながら過ごせた時間。




そして、

欲しかった

スニーカーをプレゼントしてくれて、
ゆらの形見のチャームをネックレスにしてくれて、




いつもこうして、

ちゃんと形にして想いをくれること。



本当に、幸せな時間でした。




誕生日には「おめでとう」って

LINEももらって、
毎年こうして想ってくれる友達もいる。




ちゃんと恵まれているし、
幸せなんだと思える出来事も

たくさんあるのに、

それでも心の奥は、埋まらない。




ゆらがいない。




その事実が、

全部の上に乗っかってきてしまう。




少し前に行ったライブも、
あんなに楽しくて

満たされたはずなのに、




結局そのあとに残るのは、

ゆらがいない寂しさで、
ずっとどこかで引きずっている自分がいる。




「ここに、ゆらがいたら」

その一言で、

全部がひっくり返る。




もっと笑えて、もっと楽しくて、



もっと満たされたはずなのにって思ってしまう。



そう思うたびに、悔しい。




どうしていないのか、

どうして戻ってこないのか、
どうにもならないことなのに、

悔しくて仕方ない。


 


そしてそんな自分に、

また問いかけてしまう。




こんなにしてもらってるのに、
感謝が足りないんじゃないかって。




幸せなはずなのに、
どうして素直に受け取れないんだろうって。

自分を責めてしまう。




でも昨日、

ゆらの女の子の友達から
「お墓参りに行ってきてもいいですか」って

連絡が来て。

その言葉が、すごく嬉しくて。




自分の誕生日のことよりも、
その連絡の方が心に強く残ってしまう。




それもまた、悔しい。




本当は、自分の誕生日を

素直に喜びたいのに。




でも結局、

どんな出来事も、どんな幸せも、
ゆらに繋がるものの方が上にきてしまう。




楽しかったことも本当。
幸せだったことも本当。




でも、それでも埋まらないものがあるのも本当。




ゆらがいたら、
まぁいっかって思えることもあるし、
ゆらがいたら、
ちょっとしたことも、

きっと今よりもっと嬉しく感じられたと思う。




だからこそ、

ゆらがいないということは、
それだけ大きな穴なんだと思う。




どんな時間を過ごしても、
どんなに満たされる瞬間があっても、

その穴は、やっぱり埋まらない。




今の私はまだ、
どこかでゆらを探し続けている。






お読みいただき

ありがとうございます






あたたかい言葉を

かけてもらうことがあります。 

 


「笑顔でいることが供養だよ」 

「ゆらもそれを望んでるよ」 

「息子さんだったらどう言うかな…」



 そんなふうに。 




多くは、

私のことを深く知らない

人たちからの言葉です。 



きっと優しさで言ってくれているのも、

ちゃんと分かっています。 

そして――言っていることは、

きっと正しい。 



頭では、ちゃんと理解しています。 



でも。 

それができたら、 

こんなに苦しくない。 



その日、

どんなに楽しいことがあっても、 

ふとした瞬間に、

ゆらのことを思い出す。 



ゆらがいたら、もっと楽しくて、 

もっと軽くて―― 




そんなことを、どうしても考えてしまう。  




夜になると、 

「もういないんだな」って、 

また現実を突きつけられる。 




寝る前になると、

涙が止まらなくて、 

ゆらのことばかり考えてしまう。 




こんなに泣いたら

目が腫れるな、って思いながら、




 布団にくるまる日もあります。





 笑えない日もある。 

気持ちが張り裂けそうになる日もある。





 子どもを喪くすって、

 きっと、

こういうことなんだと思います。 




「前を向いて」「元気出して」 

その言葉も、間違っていない。

 ちゃんと分かってる。

 それでも――できない。 




またその言葉か、って

思ってしまうこともある。




 何回も、何回も

聞いてきたから。



 私は、まだその途中にいます。




だから私は、

私のペースで、



ゆらと一緒に生きていく。







お読みいただき

ありがとうございます