挨拶と食への感謝 | 1級フードアナリスト ユピロ菌の迷える子羊達へ

1級フードアナリスト ユピロ菌の迷える子羊達へ

悩んでいたときに救ってくれた言葉や料理をおすそ分け。仏教に自分で掛けた首輪は自分でしか外せないという言葉がある。悩みを解決してくれるのは宗教でも他人でもない。自分自身でしか解決できない。

過日、ユピロ菌Jr.の

幼稚園のバザー(文化祭?)に行ってきました。

タピロ菌はバザーの手伝いのため、

僕がJr.とバザーを回ります。


 


するとJr.より少し年上の女の子(卒園児)が

「久しぶり、元気」とJr.に声を掛けました。

するとJr.は恥ずかしかったのでしょう。

彼女を無視をしました。

女の子は折角声を掛けてくれたのに、

寂しそう・・・。

そこで僕の怒りが爆発!

「ちゃんと、挨拶をしなさい!」

2~3度促しても、それでも無視したので

ついつい大きな声で怒ってしまいました。

もちろんホッペタにビンタ付。

Jr.は大泣き!

周りのお母さん達の白い目線が感じられました。

折角の楽しいバザーで、大きな声で怒って

平手打ち・・・

幼児を泣かせなくても・・・


 



でも日頃から、Jr.には

挨拶は大切だと常に教えてきているのです。

「おはようございます」

「こんにちは」

「こんばんわ」

「さようなら」

「おやすみなさい」

最低限の挨拶!

そして話をする時は必ず

相手の目をみてすること。

これは人として最低限のマナー。

また人を無視する、

人の話を聞かないなんて

人としてサイテーな事。

僕には許せませんでした。

僕は、そんなサイテーな子供に育てるには

親の責任も重いと思います。

そして子供は、あとで怒るというのは

駄目なのです。

その時に怒らないと・・・

後でだと、なんで怒られているのか

特に幼児には判らなくなる。

だから僕は人前であろうが、

誰に何と言われようが、

駄目な事は駄目。

その場で怒るのです。



 


周りのお母さん達は、呆れたのかもしれません。

でも僕は逆に

今のお母さん達は駄目になったな~と

思うことが多くなりました。

子供を叱らない。

あまりにも叱らない。

褒めて育てるという。

もちろん褒めることは、すごく大事!

一杯愛情を掛けて、褒めることは大事!

でも、いけない事をした時は

しっかり叱ること、怒ることも、すごく大事だと思う。

最近、色々な場所で親子の会話を聞いていると

子供が、どちらにしようか決めれないでいる時に

「何々ちゃんは、何々だから、こっちにしなさい」

一見、良きアドバイスのように思えるが、

これでは子供が自分で決めるということをしなくなる。

社会人になっても、自分の意思で決めれない。

すぐに嫌になると逃げたり、拒否したり、無視するようになる。

上司に自分で決めろと言われても、決めれない。

なんとか決めても、失敗したら、もちろん怒られる。

でも親にも怒られたことがないのに、

はじめて怒られた!

なんて大人に育ってしまうのではないか。

最近の親は自分を含めて

あまりにも過保護である。


 


もうひとつ、

僕が許せないのは

食べ物を粗末にすること。

僕自身、食べ歩きが趣味で

美味しい、不味いなんて言っていること自体が

罪だと思っている。

人間は生まれた時から罪を背負っている

生きているものの命を頂いて

生きていることへの罪。

これを原罪という。


 



牛や豚や鶏だけではなく

野菜や果物だって成長するものは

命がある。

その命を頂いて

我々人間は生きているんだ。

命を頂く、

これは人間が生きていく以上は

避けられない事。

だから今日も食を頂けることに

感謝しなければならない。

大切に食べなくてはいけない。

この事は一度、このBlogの記事にも

しましたよね。 ↓

http://ameblo.jp/yupirokin/entry-11418120609.html

だから今日はこれ以上は書きません。

でもね、

本当に大切なことはなんなのか、

人として、あるべき姿とはなんなのか、

常に考えることは、

人として生まれてきた以上は

必要だと思うのです。

人生を深く考えられない人間は

人として生まれてきた価値はありません。

今、楽しければいい、

人生は決まっているなんて考えているならば

人は生きている価値はありません。

今日も無視せずに交流してくれるすべての人に

今日、その大切な命を分け与え、生きる機会を

与えてくれる食材に感謝して生きましょう。


アメンバー募集中


読者登録してね


ペタしてね