この言葉
ユピロ菌の好きな言葉の一つ。
先日6月19日は「桜桃忌」。
太宰治生誕100周年でもあり、
玉川上水での自殺が発見された命日でもある。
この言葉と太宰治に何の関係があるかというと、
太宰治のTVを見ていて、久しぶりに
この言葉を思い出したから・・・。
実はこの言葉、今東光の座右の銘である。
今東光は大正3年、16歳の時に
関西学院中等部2年の1学期に退学になる。
神学部の院長の娘と恋愛事件を起こした
というのがその理由だった。
そして、兵庫県立豊岡中学校に転校するも、
2学期に恋愛事件をキッカケに教師を殴って
また退学処分を受けた。
その転校する際に、友人は
誰も見送りには来てくれなかったが、
校長が1人、見送りに来てくれた。
この校長が別れの際、今東光に
「失望すること勿れという言葉を君に贈ろう。
失望しなければ、明日はあるのだよ。
失望した時が、はじめて自己崩壊で、破壊の時だ。」
と言ったそうです。
この言葉、今東光にとって
生涯忘れえぬ言葉となった。
ユピロ菌の尊敬する今東光氏の紹介↓ (Youtubeより)
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=ycdeFgpRQCA
「生まれて、すみません」(二十世紀旗手)
「絶望するな。では失敬」(津軽)
「富士には月見草」がよくにあう」(富岳百景)
「人間だけあるもの、それは秘め事」(斜陽)
こんな言葉を聞いていたら、
「失望すること勿れ」という言葉を思い出した。
今東光と太宰治、生き方は、あまりにも違う。
天台宗東北大本山中尊寺の貫主、
宗教家として頂点まで昇り詰め、参議院議員にまで
なった直木賞作家(「お吟さま」)、今東光。
一方、念願の芥川賞を受賞することもなく、
人間の弱さを、自らさらけ出し、人生の敗北者のように
散っていった太宰治。
しかし、似ているところも多い。
今東光は、その頃の文壇で権威を
もっていた菊池寛から断絶される。
太宰治も川端康成より酷評を得て
反発する。
この二人の人生を大きく分けたのは、
良き友人を持つことができたか、
できなかったかが、大きいのではないだろうか。
今東光には川端康成という無二の親友がいた。
川端康成が第6次「新思潮」の発刊に同人として
今東光の名前を上げた時に、菊池寛は反対、
川端は今を同人にしなければ、新思潮を継承しないと
迫ったという。
今東光は後に「親友とはそういうものだ」と言っている。
良き友人を持つことだな。
そして「失望すること勿れ」。