私は、人は好きだけども

人とつるむのは、苦手だ。



小学生や中学生の頃は

そんなこともほぼなくて

むしろいつも誰かといて

他愛のない時間を過ごしていた方だ。



今思えば、ひとりになりたくなくて

気の合う人たちといることで

時間を埋めていたようなところもある。




高校からはそんなこともなく

わりと一匹狼派というか

別に友達がいないわけでもなく

ただ、つるむのをしていなかった。



女子だけのクラスだったからだろうか。



ほんと当たり障りなくいた感じ。

月獅子座をとりあえず部活で満たして

あとはASC天秤座でやりくりする、みたいな。




星の解釈はさておき

そんな感じだったんだよね。





でも、大人になって

アラフォーの入り口手前にいる今

『誰かと一緒にいて交流している人を見て、羨ましいと思う自分がいる』

ということになんとなく気付き始めた。




私の生きているフィールドは

今は、ママフィールドだから

羨ましいと思う対象はそこなのだけれど

羨ましいと思いながらも

実際そうしてみるとめんどくさい、と

感じてしまう矛盾する現状もある。




あぁ、あの人はあのママと仲良くなってから

すごく見た目に変化が出たなあ、

でも、常にいろんなママといるなあ、

すごいなあ、

私には無理だわ




なんて、常日頃色んな人に対して

観察しては

私には無理だなと感じて

遠ざけてきていたけども




保護者会会長になってみて

嫌でも人と関わることをしていく中で

常に自分の外見にも気を配り

いろんな人と話せる人というのは

とても器用で、凄い人なのだ


ということが、分かる。





今までそういう人を何人も見てきて

やっぱ女ってめんどくさいなぁとか

つるむとか無理すぎる、とか

人に影響されて見た目にも変化が出るとか

the女子だわ、とかって

否定的な目線で眺めていたけれど




それって、私は実はそういうのが

羨ましいって思ってたのかもって

ふと、気付いた。





そこに近づこうともせず

ただ、ひねくれている自分が、いる。





なんて、生きるのが下手くそなのか。





なかなかに、子どもだ。

年齢だけ数字が増えていくだけで

中身はただの幼稚な自分。





情けない。





どうやったら脱皮できるんだろう。

ここ最近はそんなことばかり

考えている。




周りばかり気にして

自分を疎かにしてきたツケなのか。




ファッションもそうだ

出産してから万年スニーカー、Tシャツズボン

特に組み合わせもない無難なやつ




見た目も年々だらしなくなって

メイクなんていつもしないし




なんとも雑なスタイルだ。





自分の自信のなさは

こういうところからも

来ているのかもしれない。




周りのママたちみたいに

大人になれたらいいのになあ、、





ぐちぐち言ってないで

自分改革すりゃいーじゃんっていう

話なんだけどもね。




羨ましく思ってばかりじゃ

自分のものにはならないし

そこから抜け出すには

動くしかないということは

もう、分かっている。





まだまだ悲劇のヒロインから

抜け出せてないんだな、と。





自分すらもめんどくさく感じる今日この頃。

でも、今日も、そんな自分と

生き抜くしかないのだ。





動けよ、私。