私は、両親とは不仲だ。

それはもう私がこの世に生まれた時から

環境が平凡ではないのもあるからだ。



いわゆる、機能不全家族に属すると思う。



ダブル不倫でくっついた両親には

お互いに子どもや配偶者がいて

その家族を置いて、くっついている。



当然、祝福してくれる状況でもなく

父方の親戚はいつも一線を引いて

付き合っているように感じていた。



母方の方は遠方なのもあって

頻繁に会うことはなかったけれど

まあでも、それなりに受け入れてくれていた。




子どもながら、察するものが多かった。



私が物心ついて記憶に残っているのは

毎日の夫婦喧嘩。

極めつけは目の前で母が包丁を持ち

父へ襲いかかっている喧嘩だ。



それくらい、父は女遊びが激しく

家にお金もあまり入れず

祖父母に借金をしていたらしい。



あの頃は下のきょうだい2人を守らなければ

と、長女ならではの責任感が

私の全てを占めていた。



気付けば私は母から

父に対する愚痴や周りへの不満を

聞かされることが増えていき

母は、周りの大人に

『この子は反抗期らしい反抗期がなかったのよ』

と、なぜか自慢げに話していて

そこに私は誇らしさもなく、

ただただ、今思い返せば、『無』に近い

感覚でいたのかもしれない。



私が小学生後半になったあたりから

私の誕生日が近くなれば

母はいつも出産した時のことを話していた。



『お父さんがあなたが産まれて最初に言った言葉は、血液型は何型か?だったんよ。誰の子か信じられなかったんでしょうね。』



そんな話を毎年聞かされていた。



あぁ、私は望まれてこの世に

生まれてきた訳ではないのか。



子どもながらにずっとそう感じて

生きてきた。



色んなことが積み重なって

気付けば過敏性腸症候群になっていた。



どこに吐き出せばいいかも分からない

気持ちや感覚を押し殺した結果だ。




母は周りの大人に私のことを

『娘だけど友達みたいな感じよ〜』と

話すことが多かったけども

私は正直そんな風に感じたことはなかった。



そんな母だから友人同士で話しそうな

会話の内容を

毎日、私に話してくる。



それは、私が結婚して出産してからも

続いた。



まあ今思うと

母も自分の実家が平凡的な家庭ではなく

問題だらけだったこと

私の下のきょうだいに話そうにも

自閉症がある子には話せないんだな

唯一生まれた男の子は可愛くて仕方なくて

こんな話したくないんだな

父は聞いてるようで聞いてくれてなくて

共感すらももらえない




こんなことを話せる友人がそもそもいない




そんなトータル的なことを思うと

私しかいなかったのだ。




そんな母や父と連絡を絶つ決意をしたのは

ここ数年の話。



父の施設入居に関する相談を受けたときに

今まで蓋をしていた思いが溢れ出て

言い合いになったのがきっかけだ。



ちょうど、29歳の頃。

占星術でいうサターンリターンの時。




ふざけんなよ

私の今までを何だと思って

過ごしてきてんだ

結婚した時にあれだけ嫁いだんだから

そっちの姓になったんだから、と

何かと跳ね除けてきたくせに

自分たちが困った時だけ

そうやってくるんかよ



って。



そこから連絡は断ち

父が他界したのをきっかけに

また少し連絡を取るようになったけど

やっぱりもう全身が無理だと叫んでいて

連絡を取るのをやめた。




そんな母から最近郵便が届いた。



私が生まれた日の政治欄の地元新聞の

コピーをラミネしたものと

手紙を一枚添えて。



あぁ、またそうやって

構ってさんなのね、と

冷めた目で眺めていた。



置き土産だと書いていたが

そんなのどうでもよくて

私の心の健康と幸せを願っている

と、書かれていたが

そんなのもどうでもよくて。



ただただほっといてほしい気持ちが

強かった。




さっさと解放してくれ。



それしか今の私には、ない。




たとえ、このまま別れたとしても

今の私には後悔はない。



数年後、もし後悔がきたとしても

今の私には、ない。




遅れてきた、いや、今まで出し損ねていた

反抗期がやっときたと感じている。



やっと、私を押し殺さなくて済む。




そんな感覚だ。




受け取り拒否してもよかったが

その行為すらする時間がもったいなく

まあ、それをしないだけマシだと

思ってもらいたい。




さっさといなくなればいいと思っていた父が

他界した時は

それでもたしかに父親としての愛は

存在していたことを

写真を見返しながら感じていた。




母に対してももちろん

今だから思える捉え方や

感謝も、ある。



だけども、もう私自身を優先したって

いいんじゃないかって。




連絡が来るたび

こうして郵便が届くたびに

動悸がして血の気が引く感覚になる自分を

もう見過ごすことはできないのだ。




ほっといてほしい。



ただ、それだけの気持ちを

私の中の私はずっと抱えて生きているのだ。




もう、世間体など気にせず

長女だからと全てを背負わず

そんな私すらも全部受け止めてくれて

隣にいてくれる旦那さんがいるだけで



私はもう、私優先で生きていいんじゃないかと。



29歳の頃やっとそう思えたのだ。




届いた郵便物は手紙以外は処分した。



手紙をひとまず捨てなかったのは

私の良心が少し勝ったからだ。





私にだけこうして送るのではなく

あなたが置き去りにしてきた

子どもたちにも

同じことをしていて下さい




私以上に深く傷付いているはずなので。




家庭の数だけいろんな色味がある。



だけども、それすらも選んで

生まれてきたのだと

今なら、思える。




なんだかまだ少し重だるいが

母なりの色々を否定はしてない。




私は、私の人生をしっかりと生きるのみ。