モヤッとしても言えないこと
小中学生時代、私の学校では、打ち上げや何かしらの集まりを学校が禁止していました。
その理由は、子どもだけだとどうこうという話ではなく、「絶対に誘われない人が出てくるから」というものでした。
いじめまでは行かずとも、誰かしら誘われない人が出てきて、それがトラブルへと発展する場合があるため、そもそもそういった集まりを禁止していたのです。
そのため私は幼い頃から、
- 誘うのであれば全員誘う
- 誘わないのであれば絶対に知られないようにする
ということを徹底していました。
それはトラブルを避けるためでもありましたが、何より、誘わないということは悪いこと、申し訳ないことという固定概念があったためです。
そんな固定概念が、今になって効いてくることがあります。
SNSが普及し、私も友人も、年齢的にも、誰もが自分のスマホを持っていて、簡単に情報を共有できる時代になりました。
幼いころは、箝口令を敷いていれば良かったことですが、今はその人に向けて発信したつもりが無くても、意図せず発信した情報が共有されてしまうことがあります。
何が言いたいのかというと、そういった集まりの写真が、誘われていない人の目にも当たり前に入るということです。
私は固定概念がありますから、そういった集まりの写真が誘われていない人の目に写るようなことはしません。
ただ、周りもそうとは限りません。
彼らは私のような固定概念がありませんから、悪いこと、申し訳ないこと、という考えがなく、当たり前に「楽しかった〜
」といって写真を共有してしまいます。
![ピンクハート](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/083.png)
これはSNSの投稿に限らず、会話でもよくあることです。
誘ってない人の前で当たり前に
「いついつの打ち上げ、楽しかったね〜」と盛り上がっているのを見ると、え
大丈夫なの![驚き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/619.png)
と思ってしまいます。
![はてなマーク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/612.png)
![驚き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/619.png)
![はてなマーク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/612.png)
増してや自分がその誘われていない側だった時、相手にも悪気があれば、嫌味のひとつでも言えますが、悪気がなければ単なる誘われなかった寂しい人です![昇天](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/618.png)
![昇天](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/618.png)
必ずしも悪いことだと思って欲しいというわけではありませんが、毎回モヤッとしてしまう話です。