私は小学4年生から中学受験の勉強を始めたのですが、塾の先生から言われて、今でもずっと続けていることがあります。
それは、ほんっとーに些細なことなんですけど
家でティシュの箱やアイスの箱とか、段ボールなどの箱を捨てる時、必ず平面に開いて展開図を見てから畳んで捨てるクセを付けるということ。図形や空間図形(立体)に対する感覚が養われるから日々クセ付けると良いと言われました。
それから、今でもずっとずーっと当たり前のこととして続けてきております。
そして私は、箱という箱を展開する時、感じるのです。
ちょっと変わった仕掛けのある箱に出会ったりすると、素敵だな〜と思って何度も組み立ててみたり(時間があると開く→組み立てる を何回かやりがち)
逆に、無駄に凝ってる箱を見ると、こんなところにコストをかけなくてもなあ🤔とか思ってしまったり
特に通販が一般化してからは、色んなタイプの段ボール箱に触れる機会が増え、私は自然と箱の作者に思いを馳せてしまうのです。
箱とは違うけど、折り紙の技術が宇宙開発に応用されていると知った時は、すごくワクワクした。平面を折って変形させるという点では折り紙の技術は箱と似てるなと思った。
箱を開く作業って、作者に思いを馳せるまでがワンセットであることが当然のこととして過ごしてきたわけです。(変態でごめん)
私の実家では面白い箱があると両親と
「この箱はこんなふうにできているんだねー」なんて会話が日常的でした。
そんな私が結婚したお相手(←主人のこと)ですが
アイスの箱でも、ティシュの箱でも、通販の箱でも、捨てる時は
空手チョップでボッ゙コボコにしたり

うっ、、、
丈夫な箱は踏みつけて厚みを減らしたり
ちょまっ

膝蹴りなんかもしながら畳むのです
ビリッビリに破いてから捨てることもあります。
なんということを

結婚したての時は、驚き過ぎて
え?!この人、機嫌悪いの?!
なんで丁寧に展開しないの?!
箱を作った人に思いを馳せないの?
と聞いてしまったくらい衝撃でした。
もちろん、主人は
と言って呆れてましたけど

結婚して10年くらい経つけど、未だにこの温度差には慣れずにおります。
でも、わかっています。
ええ、わかっているんです。
この場合、一般的な考えは主人で、
めんどくせーこと言ってるのは私。
私が世間で言うところの少数派なのだろうと、薄々気付いているので、主人に私の意見を強要することはないけど、息子となると話が変わってくるのです。
息子が箱をしっかり見ないで捨てるのは、やっぱりどうしても、もったいない
と思ってしまうんです。

息子にも私のめんどくせー習慣を教え込むか、主人流の空手チョップや膝蹴りで箱を解体させる方法を教えるか、、、
悩ましいところですが
今、我が家は就学準備で段ボールだらけなのですが、これを機に箱を観察してから捨てる習慣を付けてみようかと思っているところであります。
最初は息子もなんのこっちゃだと思うけど、この奥深き箱の世界を息子と一緒に楽しめたらいいなと思っております。
