こんなこと年長の夏に気付いてしまうあたり私ってポンコツなんだけど。
子どもの成長って、親にしかできないこと、先生にしか教えられないこと、そして、お友達(環境と言った方がしっくりくるかな)から学ぶことがあって、この場合の「お友達」というのは、特定の個人を指すわけではなく、一緒に過ごすお友達全員のことです。
この、一緒に過ごすお友達の影響って、良くも悪くも強烈ですね。
去年、お受験クラスの先生が、お子さんがどの集団で勉強するかで成績は全然変わってくるって仰っていたのですが、今では納得です。
お友達から教わったことは、親が矯正しようとしてもなかなか直りません。
それくらい強烈なんですよね。
お友達同士のコミュニケーションて子どもたちにとって宝物なんでしょうね。
親が何度言ってもできなかったことが、お友達ができるようになっていく姿に感化されて自ら頑張ろうとしたり、お友達が頑張ってるから一緒に頑張りたいと言い出したりとか、良い影響もたくさんあります。
なんなら良い影響が多くて、おばちゃん助けられております
切磋琢磨するお友達に出会えていなければ、息子はどうやって小学校受験を自覚することかできただろうか。
小学校受験は親の受験なんて言われるから、何でもかんでも親が背負わなければ!なんて思っていたこともあって、息子がどうやったらお受験を自覚してくれるかを必死に考えていたけど、とんだ思い上がりでした。
お友達が立派に教えてくれましたよ。
息子もしっかり学びとってくれましたよ。
私の出番はなし。
自覚を持つとか、決意をするとか、心の底から湧き上がってくるような強い気持ちは、自ら掴み取ってこそ真に自分の意思になっていくのかも知れないなーなんて思います。そして5歳児でもそうゆう強い意思を持つことはできることも付け加えておきたい。
親がどうこう仕向けて、親の望むタイミングで掴み取ってくれるモノではなかったんだなと実感。
ただね、
親は何もできない範疇であったとしても、放置していたのでは良いものを掴み取って来てくれるとは思えないんです。親が願い続けることも大事な役割なのかなと思っております。
もうね、心で輝くような大切な学びは、ほぼ子どもたち同士の化学反応から生まれているように思います。
当然だけど、親はこんな学びを息子に提供できないなと思う。
そう考えると、親ができることなんて、ほんの少しだなと思う。
息子の無事を願って元気に働くことくらいが私の役割かなーなんて思っちゃう。
小さくても役割を果たすことって大事よね。
さーて、今日も元気に働いてまいりまーす!
