こんにちは。ゆんたくシーサーRadioのソラジョ、0G女子のゆかりんこと
上原由佳利です。ゼロG女子の由縁は、無重力実験に参加した経験があるからです。
どうぞ、宜しくお願いします(*^-^*)


本当に久しぶりにのアップです。
頚椎捻挫の怪我ため長らくお休みしていましたが、ぼちぼち再開しますので、
重ね重ね、宜しくお願いしますビックリマーク

歴史は勝者が作る、と言われていますが、戦勝国側が敗者、
敗者の国の正義を否定したり、支配、占領することも珍しくはありませんえーん

現実に、古より世界地図は変わり続けており、

国の興亡は盛者必衰の理を現すたとえに使われます。
先の第2次大戦も例外ではなく、欧米の戦勝国側が戦後の処理をして、
自らの正義を世界正義として世界史を編纂したといっても過言ではありません。
 

ですから、欧米側の視点で正邪をくくられた感は否めません。
しかも、敗戦国の歴史のみならず、宗教、精神性、文化、経済にも介入され、
精神的支柱は外されてしまったのが日本ですドンッ

しかし、日本は、大戦中、アジアを守るために戦っていたのは真実であり、
当時のヨーロッパ列強が、端的に言えば、北極と南極以外は支配していたのであり、
当時の世界地図を見れば歴然としていますあし!!


欧米に立ち向かったアジアの国は、日本のみであり、アジアの希望でした。
大戦後半は、アメリカと死力死闘を重ね、最後は原爆を使用されて国は一旦滅びました。

さて、私たちは学校で、アメリカとの圧倒的な国力差、戦力差があって、無謀な戦いに挑
んだ、という教育を受けたと思いますメモ

しかしながら、それも客観的な視座ではないし、単純な総括だと思います。今一度、見
直す必要があります。

第1に、戦力について。日本は空母時代の到来を認識してなかったという通説があるの
で、まずは空母を見てみましょうドア

1941年の開戦当時日本の海軍空母は、赤城、加賀、蒼龍、飛竜、翔鶴、瑞鶴、鳳翔、龍
驤、瑞鳳の9隻、開戦時に建造中の空母は、祥鳳、隼鷹、飛鷹、大鳳の4隻、計13隻。

 

【空母 赤城 Wikipediaより】

 

【月光に浮かび上がる日本海軍の空母『赤城』 ロバート・T・マッコール作画 国立スミソニアン航空宇宙博物館本館の第2次世界大戦の航空機ギャラリーの入口に展示。「トラ・トラ・トラ」の概念画を担当】

 

 

一方で、米側は、レキシントン、サラトガ、レンジャー、ヨークタウン、エンタープラ
イズ、ホーネット、ワスプの7隻、開戦時建造中の空母は、エセックス、

CV10、CV11、CV16、CV17の5隻、計12隻。
空母数だけ見ると、決して遜色はありません。

しかも、太平洋に配属されていたのは、エンタープライズとホーネットの2隻のみ。
ホーネットは、南太平洋海戦で日本軍の猛攻撃を受け、1942年10月27日午前1時35分沈
没しました。この艦は、2019年2月12日、例によってポールアレンの調査チームがソロモ
ン諸島の沖合5320mに沈んでいたのを発見することになりますサーチ

 

 

そして太平洋において、不滅の名前を刻んだエンタープライズ。米側の誇りでもあり
“ビッグE”という愛称で親しまれましたキラキラ大戦中に日本軍に15回に及ぶ損傷を受けなが
らも、幸運によって沈まず、“ラッキーE”とも呼ばれ、多くのTV番組にも取り上げられて
米国民には忘れることのできない空母となりました。


第2次大戦で最高の武勲を上げたと言われたビッグEも、日本軍の空母と比較して技術力
や能力がかけ離れて上だったかというと、そんなことはありませんパー
1941年当時のエンタープライズの飛行甲板は木製の板張りで、日本軍の攻撃のたびによ
く燃えていたし、大穴がボコボコあいていました。ビッグEは、日本軍から空、海上、海
中の360度から激しい攻撃にさらされ、特に特攻機からは甚大な被害を被り、乗組員は特
攻機を恐れていましたショック!


昼夜問わず日本軍は奇襲をよく使っていたので、米軍はそのことにも悩まされましたガーン
夜襲を可能にしていたのは、日本側の航空機にはレーダーを備え、大いに貢献していたか
らですメラメラ

レーダーは、世界で初めて日本人が開発した八木・宇田アンテナを元に改良されたもの
で、イギリスが最初に兵器に応用して広まっていき、のちに戦争の戦略戦術を大きく変え
ていきました。

エンタープライズは、マストに急遽レーダーを備え付け日本の夜間攻撃を迎えましたが
、24時間体制で戦うことは米軍にとって初めての経験でした。艦内食堂、売店は24時間オ
ープンし、艦員は激務を強いられることになりましたメラメラ

昼夜問わず奮闘した空母エンタープライズは沖縄戦が続く1945年5月14日、零戦の特攻
の来襲を受けました。

ビッグEのベテラン砲手が5機の特攻機を撃墜しましたが、
1機の零戦の優秀なパイロットが猛烈な放火を搔い潜りましたDASH!
左舷から迫り高度60mで横切って、艦員が安心したところへ左に横転して上下反転、
ビックEに真っ直ぐに突っ込みました。

第1エレベーターに直撃、搭載されていた250キロ爆弾が爆発、
120トンの鋼鉄製エレベーター本体が空中に120m舞い上がり、
2000トンの海水が浸水、2m傾斜、戦闘不能になりながらも危機対策班がフル稼働して消火活動をし辛うじて自力航行、

 

そのまま、アメリカ本土に修理のために引き上げることになりました。ワシントン州のピ

ュージェット・サウンド海軍工廠で修理中に終戦を迎えています。

このように、米軍が特攻機を恐れてたのは、たった1機であっても、優秀な操縦技術をも
つパイロットによって、甚大な被害を被るリスクがあったからでしたあせる

次に空軍力についてです。第1次世界大戦以降、戦争は「空の戦い」が勝敗を決する最

も重要な要因となっていました。
日本は、フランスから空軍組織を学んでいますメガネ旗

第1次世界大戦時、独と仏の間で武装偵察機の優勢による制空権が確立し、
空軍の組織が誕生しました。

1919年仏からジャック・ポール・フォール大佐が来日し、
航空戦術と個々の機種についての運用を日本に伝え、
悪戦苦闘しながら日本独自の空軍に発展していきますあしキラキラ

アメリカは、3大富豪ロックフェラーの石油、カーネギーの鉄鋼、フォードの自動車産業
が興り、既に自動車大国で、動力になる内燃機関の製造はすでに発達しており、航空機製
造まで進んでいたのは確かです。

しかし、アメリカはモンロー主義を唱えており、国外に軍隊を派遣するということは1度
も経験がなく、第2次大戦に参加するまで米軍として組織だった実践はなかったのです。

それを鑑みると、私たちが学校で習った圧倒的な軍事力の差があった、という点は、開戦
時においてはありませんでした。


航空機の技術力においても、
開戦当時の零戦の優秀さは米軍側も認めていたのは周知の事実です。
しかし、徐々に米の工業力の著しい発展により、技術革新と大量生産により、零戦を凌ぐ

F6Fグラマン(ヘルキャット)、B-29などを製造していきます。

B-29は、日本市街地の空襲、原爆投下によって日本人には恐ろしく、技術力も到底叶わな

い航空機だという印象を刻印されています。
しかし、B-29が無敵だったというわけではありませんあせる

B-29は日本軍の高射砲も届かず防空戦闘機が自由に追撃できない1万mの高高度を悠然と
飛ぶ重防御の無敵爆撃機と言われていました🛫ドンッ

実際のところ、九州への空襲は高度6000~7000m、354㎞/時といった飛行性能で、もちろ
ん重爆撃機として極めて優れていたけれども、超越的な高性能機というほどではなかった
ようです。

もとより、1万mの高高度から精密爆撃といを行う能力はありませんでした。
当時は、操縦士の能力によって大きな差があり、日米ともに撃墜王がいて、米側の爆撃機

の機体に撃ち落とした日本軍機の数だけ旭日旗マークを貼ったりしていました。
 

 

現代と違い、目標に正確に爆弾を落とすためにはかなり低空まで下りてこなければならず
、従来機などは300m、200mと低空まで下降し、非常に危険を冒して照準を定めなければならず、個の操縦技術によって大きな差があったのです叫びあせる


B-29の遠隔照準も、視座のずれが生じる欠点があり、完璧とは到底言えませんでした。
その上B-29は、重爆撃機であったため、燃料を大きく喰う機体で、

燃料の補給路が課題で
あり米側は難渋しました。後に戦況がアメリカ側に傾き、難航した補給ルートも確保して
いくことになります船DASH!

なぜ、日本人にはB-29と聞いただけで震え上がる記憶を残したのか。それは米側の非情な
までの戦略にあります。

彼らは、日本の軍事施設、軍事産業だけでなく、市街地への無差別攻撃を念頭に置きまし
た。民間人を狙った無差別攻撃は国際法違反であり、
人道に対する戦争犯罪者であると日本側は認識していましたひらめき電球

1944年 11、12月三菱重工名古屋発動機を壊滅。日本の航空機生産の半分を担う工場の操
業を停止した他、列車、船舶、自動車といった小目標まで銃撃、地方都市まで無差別攻撃
をし続けました爆弾

都市を焼き払う戦略で日本人に恐怖を与えることが目的だったのです。
実のところ、日本の防空陣は優れていました!!

しかし、本土防衛よりも、南方戦線の遂行
が何よりも切実な問題として取り組んでいたため、

あまりに兵力が分散し過ぎていましたしょぼん

日本軍の最大の航空基地はガナルカナル島にありましたし、

先ほど紹介したようにB-29は
燃料を喰う重爆撃機だったので、日本本土を空襲するためには、ガナルカナル、サイパン
、硫黄島の奪取に総力を挙げてきました。日本側も本土防衛のために死力を尽くして防衛
戦を行ったのです💪ドンッ

米軍は日本の空軍基地ガナルカナルを占領、硫黄島に至っては、

万が一のB-29の不時着陸
のための予備の島として抑えがんがため、壮絶な戦いをし占領、サイパンも日本軍のバンザイ突撃、テロ攻撃など悲惨な戦いの末占領しましたダウン


その後テニアン島から広島へB-29のエノラゲイが原爆を搭載して
広島へ飛び立つことに至ったのでしたロケットDASH!

 

※2017 12月   国立スミソニアン航空宇宙博物館別館見学  ワシントンD.C.

 

【B-29は他の爆撃機より一際大きい。エノラゲイはシルバープレート仕様】

 

【エノラゲイは特別なセキュリティーカメラがついている】

 

【前方は見通しがいい】

 

【尾翼のRマーク】

 

【1回だけの特別ミッションだった】

 

 

 

沖縄スペースポート誘致委員会HP↓

https://www.okinawa-spaceport.com/

 

 


 

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