和歌山のレトロな建物紹介でよく出てくる真砂浄水場

中には入れないので門の外からの撮影です。

 

 

 

大正15年に建てられたポンプ室

 

 

和歌山市の水道施設は、大正12年3月に起工、14年6月に通水を開始しています。水源は紀ノ川の新六箇井堰下流から取水し、紀ノ川左岸の有本から真砂浄水場へポンプ導水し、ろ過した浄水を城跡の配水池へ揚水し、配水するものでした。北送ポンプ室他の建物はいずれも鉄筋コンクリート造で、それぞれの用途に合理的に作られていますが、壁面や北送ポンプ室の正面入口の庇の持ち送りには控えめな装飾がなされ、入口上部の半円形の窓のデザインは、そのころよく見られるデザインです。

和歌山市教育センター学びの丘より

 

 紀の川上流で建設中の大滝ダムの完成が来春に迫り、一方で紀伊丹生川ダムの中止が決まるなど和歌山市を取り巻く水環境が変わりつつある中、田屋地区で新浄水場建設に向け、市水道局が調査を進めている。市内には現在、加納、真砂、出島、島橋の4浄水場があるが、2008年ごろに新浄水場が稼働すれば、加納と田屋の2本立てとし、残り3浄水場は廃止。このうち真砂は「水がおいしい」と評判だったが、早ければ10年ごろには姿を消しそうだ。ニュース和歌山より

そうなるとこの建物はすでに用済みになっているのだろうか…取り壊しだけは避けてもらいたいところだが

 

次に向かったのは無光量寺 

首大仏が有名なそうで見に行ってきました。

〒640-8137 和歌山県和歌山市吹上5-1-35 

寺町通りに面していないので見つけにくかったです。保健所の西側から入ったところにありました。

 

 

ドーンと首だけ しかも間近

迫力があります。

 

初代の大仏(座像、高さ約5m)は大福寺江戸時代享保年間に建立された。現在の大仏は2代目で、天保6年(1835年)の初代大仏火災焼失後直に初代像の銅を使用して制作され、天保11年7月24日(1840年)に同じく大福寺にて開眼法要が営まれたものである。

本来、大仏は全身像(座像)が基本であるが、ここの大仏は首から上の部分しかない。首だけしかない理由は大福寺の経済力にあったとされ、御首に身体を継ぐこと幾度か検討したが巨額の費用がかかるために断念したとされる。首大仏像は3メートルあり、若し座像となれば像高約13mと推定される。

大福寺は安政元年(1854年)に発生した安政大地震で全壊し、明治41年(1908年)には廃寺となったため、首大仏は本山にあたる無量光寺に移された。現在、当大仏は「首から上の願いを叶える」と云われ、多くの受験生らが参詣する。

ウィキペディアより

 

仏さまにお願いしても聞いてもらえたことがないので、お願いはせず

「今日は晴天にしていただいてありがとうございました。」

とだけ手を合わせてきました。

 

通りすがりのお寺の門から見えた桜

 

報恩寺 

紀州徳川家の初代藩主・徳川頼宜(よりのぶ)の正室、瑶林院(ようりんいん)の追福のために建てられた紀州徳川家の菩提寺です。境内のいろんな場所に葵の御紋が見られます。

 

三つ葉葵の紋の瓦が敷いてありました。

 

徳川吉宗生誕の地

ほんと道と壁の間にちょこんとあるだけで、目立ちません。

報恩寺の前の通りを北に向かったところの左手にありました。