11月の舞台で舞う

「班女アト」の詞について、解説してみました。
濃いピンクは私なりの花子になりきっての訳

薄いピンクはちょっとした情報

にしてあります。

班女というのは、

http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_034.html
ここらを見ていただくとわかりますとおり

花子ちゃんは遊女だったんですけれど

吉田少将っていう人が見染めて

迎えにくるからなっと言って

約束の代わりに扇交換して帰るけど、

待ちきれなくてブチ切れて
あんまり態度が悪いっていうんでクビになっちゃって

ふらふら会いに来ない吉田少将を探しに都へ

そこへ、会いに行ったのに花子がいなくてびっくりした吉田少将が

がっくり都へ戻ってきて面白い女がいると囃し立てる。

・・・で、結局会えるのですが

囃し立てられて、狂い踊りながら恨み言を云うって場面が

この班女アトの仕舞の部分になります。

 

※班女:中国・前漢の時代に成帝の寵妃であった班婕妤(はんしょうよ)のこと。趙飛燕に寵愛を奪われたことから、秋には捨てられる夏の扇に自らをたとえて嘆いた詩「怨歌行」を作った。以来、捨てられた女のことを秋の扇と呼ぶようになったという。この故事をもとに、離れ離れになった遠くの恋人を想い、扇を眺め暮らす花子にあだ名がつけられたという設定。

(能・演目事典より)

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シテ「月を隠して懐に。持ちたる扇。」
月隠すようにして懐に持ってるこの扇

(花子の持つ扇には月が描いてあって月を隠して懐に持っていて、吉田少将が持っているのは夕顔の扇みたいです)

地「取る袖も三重襲。」
扇も着物も三重重ね

シテ「その色衣の。」
その色衣の

地「夫の約言。」
夫の約束の言葉
(夫もツマって読むところが面白いですよね)

シテ「必ずと夕暮の月日も重なり。」
必ず来るとおっしゃったのに、月日は過ぎて

地「秋風は吹けども。」
秋風が吹くようになったけれども
(秋風っていうのは飽きるっていうのに掛かっています)

シテ「荻の葉のそよとの便も聞かで。」
夫からはそよともお便りがなく
(そよともってのは、わからなかったのですが、
風がそよっとなる⇔全くそよがない
ってことで、「全く便りもない」ってことです)


地「鹿の音虫の音もかれがれの契り。あら由なや。」
鹿の音や虫の音が枯れ枯れ(かれがれ)になるように
私たちも離れ離れ(かれがれ)の夫婦の約束になってしまったわ。
ああ情けないわ~


シテ「形見の扇より。」
形見のこの扇よりも

地「形見の扇よりなほ裏・表あるものは人心なりけるぞや。扇とは虚言や。
逢はでぞ恋は添ふものを。逢はでぞ恋は添ふものを。」 
形見のこの扇にも裏表はあるけど、それよりももっと裏表のあるものは人心だわ!
扇なんて嘘じゃない!
ああ、逢わなければなおさら、恋心は募ってしまうわ(TT)

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昔は、人を探すと言えば

見世物になって
舞いながら、その人の名を呼んだり・・・
それを狂うと言っていたようで

狂女ものって言われるのは

子供だったり旦那さんだったりを

探しているって意味なので

クレイジーってのとは違うのですねっ。

 

能を始めとする古典っていうのは、

やたらと掛詞が多い。

意味が何重にもなっていたりしますね。。

 

形見の扇よりなほ裏・表あるものは人心なりけるぞや。扇とは虚言や。
逢はでぞ恋は添ふものを。逢はでぞ恋は添ふものを。

 

というのは、そこに扇というのはどういう意味を込められたものかっていうのも

大変この物語の大事な意味になっているようです。

扇は扇ぐ(あおぐ)ものというところから扇と呼ばれるようになったようで

おうぎ←あふぎ←逢ふ儀

で、扇というのは、再び逢うってことを暗示ているらしいのです。

 

この舞を舞った場所も糺の森ですが

これっていうのは、今でもありますが下鴨神社の参道なわけです。

葵祭で、御所から向かう場所ですが

あおい←あふひ←逢ふ日

で、これも逢う日っていうのを暗示しているとも。

 

ダジャレっぽい感じでもありますが

こうやって古き日の日本人は

秘めた想いを詞に織り込んでいったのです・・・。