私は5年生でした。
神戸市長田区に住んでいた為、
自宅と自宅前にある父の靴工場は
全壊全焼でした。
焼け野原を逃げ回り
高台の避難所で何カ月すごし…
私と妹だけそかいすることになり
父の実家、大阪西成に船で渡りました。
祖母の家からは
商店街を通り抜けないと危険だし
小学校まではたどりつけないため、
毎日息をとめながら(くさいから笑)
くぐりぬけていたのを覚えています。
当時父、母は40代。
母は厳しい人でした。
自分にも、厳しいひと。
一度、育て方を間違えた
と泣かれたことがありました。
当時の私はひねくれものでした。
私達を育てるため
どれだけ苦労したか。
なにくそ!負けるか!
と生きてきたといいます。
今は60代でまだ働いてます。
終わりよければ全てよし!
母の夢を叶えてあげたいです。
いい人生だったとかんじながら
これからの人生楽しんでほしいです。