写真を整理していたら父との写真がたくさんあることに気づきました。

患って23年目に逝ってしまってもう数年が経ち。

家族で、「もうダメかも、今年はもうダメかも、この夏がもたないかも、

この冬は越せないかも・・・」と、延命の選択を繰り返しながら、

つい、その姿を一緒に残したくて写真を撮っていたのはなぜだろう。

 

孫の成長ごとに、孫の入学卒業、成人式と、おじいちゃんと一緒に。

娘たちもお祖父ちゃんを訪ねては、カメラやスマホでたくさん写真を撮りました。

嬉しそうな顔や何気ないちょっとした動きや表情を残しておきたくて。

最期の数年は、寝たきり状態が続き、話すこともままならず、

食べることが好きな父もお腹からの栄養となり、表情がなくなっていくのでした。

だからこそ、少しの動きも見逃したくなくて、動きや表情があると喜んで。

 

認知症の兆候がハッキリしてきたころ、あえて

懐かしい写真や、父と両親である祖父母ととの写真、

妻である母と私たち子どもとの写真、かわいい孫たちとの写真、

それもですが、「大好きな機関車の写真やビデオ、音」 

いい顔して目を大きくして見ていましたね。

これには幼少の頃の大好きだった田舎への辛いけど、夢があった想い出。

でも原爆に割かれた夢だった。

色々なせつない思いがさく裂でした。

良い表情で笑ったり、 想いがこみあげてきて涙ぐんだりしました。

 

看護師さんたちが、「写真良いですねえ。回想療法ですね」

とおっしゃっていただき、安心と同時に嬉しくなりました。

脳の検査でも海馬が減ってきていることも見せてもらい

年かな・・と気持ちに片をつけていたところ、

写真が想い出を蘇らせて脳を少し刺激してくれるのでしょう。

 

そして、もう一つ、父と娘たちの間での合言葉のように、

指を併せてキツネのポーズをすることが決めごとです。

手を動かす力もなくなっていたのに、

孫の誘導に嬉しそうにベッドの端から手を出して

ゆっくりキツネのポーズ!

この動きが元気のバロメーターでした。

孫のチカラはすごいですね。

 

介護をする側の悩みとして、

近い人には、辛い態度をするのです。

父の場合は、母と私にはとてもわがままな態度と言葉でした。

介護スタッフの皆さんには、「癒される。おじいちゃんみたい」と

とてもとてもかわいがられてありがたかったです。

看護師さんの計らいで

最期の動画で、生涯初、母に感謝の気持ちを言ってもらいました。

「おかあさんありがとう」って。夫婦で写真も撮ってもらって。

 

今度は、母のその時に、この画像が、宝物になるのでしょう。