両親は既に高齢ではありますが、

父は施設でも亡くまるまで面会でいつも元気だし冗談も言うし、母は実家住まいの認知症から心不全で体調崩し今は病院療養、口癖は「大丈夫だから心配せんでいいからねー



遡ること三十数年前、優しくて思いやる心を教わった兄ちゃんが突然亡くなりました


この時に淋しくて哀しくて


丸々四年間毎晩毎晩ワンワン泣いて過ごしました


その時私は既に県外で社会人だったので日中は仕事が忙しくあまり考える余裕もなくて、ただ家に帰るとあぁ兄ちゃんはもうこの世にはいないんだと、私はひとりになってしまったんだと淋しくて淋しくてたまりませんでした




そして、今年の冬突然の父の訃報。

哀しいやら淋しいやらは当然のことで涙は溢れるし、当時母は既に療養中だったため喪主代理を務め、哀しみの感情に浸る間もなく手続きがあとからあとから出てきて

そしていつまでもいつまでも続きました


がむしゃらに手続きに取り組み3ヶ月が過ぎる頃、ようやく落ち着いてくるかもと兆しがみえはじめ思えるようになり、

手続きは…少なくはなったもののそれでもまだ今も続いていて…



それから約一ヶ月くらい気が抜けて手続きに関することが手につかず、塵も積もればで山のように溜めてはこなし、溜めてはこなしを繰り越し。

それでも少しずつ少しずつ自分の気持ちに向き合えるようになってきて。
のイマデス。


当時、(高齢であり覚悟はしていたつもりだけれど)身内が亡くなりわたしはますます!?ひとりぼっちになっちゃうんだなーと強く感じてしまい淋しさに溺れて自分を見失いそうになっていました


約4ヶ月経とうとする今は気持ち的にも落ち着いてきていて


自分の今の家族に!私のそばにいてくれる家族がいることに心から感謝です✨



今思うとまたさらに強く感じることがあります…

お父さんお母さんも長男が亡くなり相当哀しかっただろうと。


回想が続きます…

私は結婚するのが(まわりもそうでしたのでね)のんびりでしたけど、唯一の子どもが結婚することになって孫も出来て両親はさぞやホッとしてたことでしょう




晩年の両親を、まわりのアドバイスや地元のいとこたちの話を参考にして、私の家族(孫も)と両親で毎年旅行に連れてゆきました



部活や受験で忙しい中もお正月に里帰りしたりもしました。


母は認知症が進んでいましたがデイサービスを利用してまでもジモトに残りたいを尊重して、私が遠路はるばるチョコチョコ単身帰省(本州から九州へ)することでカバーしよう!の老体にムチ打っての頑張りの2年間でした



母の認知症の前に父は施設に入り母はひとり実家暮らしでしたので、そんな母に帰る度に母の大好物のちゃんぽんを並んででも食べに連れて行き、手を取って景色のいい場所へと遠出に連れ出しました




どれだけのことをしてあげれたかは分かりません。どれだけ満足してもらえたかも分かりませんが(後悔が波のように押し寄せてきますが)…


『今』があることに感謝しようと思います✨




お父さん、

お母さん、

兄ちゃん、

ありがとう。




力を合わせて♡がんばろー