私自身はいわゆる「ゆとり教育」に片足を突っ込んだ世代である。しかし、ゆとり教育に限らず、日本の教育はこの数十年、一貫して「個性の尊重」や「子どもの人権の保障」を理念に掲げ、より温かく、寛容な方向へと進んできた。
その一方で、「今の若者は覇気がない」「打たれ弱い」「競争心がない」「向上心がない」といった批判的評価を耳にすることも多い。これらの指摘には、一定の妥当性がある。実際、教育のあり方が変化した結果として、そうした傾向が相対的に強まったのは事実だろう。そして、この変化が日本社会の停滞と重なっているという見方も、理解できる部分がある。
教育の厳格化を訴える立場の代表的な人物として、戸塚宏の名が挙げられる。体罰の是非はともかくとして、彼が提唱する「厳しさを通じた人間形成」に一定の共感を示す大人は今なお少なくない。教育現場でも、「日本の教育は甘すぎる」という意見はごく一部ではあるが根強い。
しかし、私の考えはやや異なる。現在の若者に課題があるのは確かだが、それは社会が進化する過程における必然的な副作用であり、むしろ望ましい方向への変化だと考えている。
今日の若者はしばしば「共感的」であると評される。合理性よりも他者の感情を重んじ、感謝や謝罪に対する感受性が高い。叱責に対しても敏感であり、縦の関係よりも横のつながりを重視する傾向が顕著である。命令や服従よりも、話し合いによる合意形成を重視し、他者に過度なプレッシャーを与えない。その一方で、他者からの心理的負荷には敏感に反応する。
こうした傾向は、先に述べた体験にも明確に表れていた。あの若者たちは、上下関係の指示やマニュアルに従ったのではなく、状況を察し、他者の立場に共感して自発的に行動したのである。これはまさに現代の若者の典型的な行動原理であり、学校で話してみても、「今どきの子どもたちらしい」と共通認識されている。
もちろん、こうした傾向が社会の効率性を損なう局面もある。組織運営の観点から見れば、合議的・共感的な風潮は意思決定を遅らせる要因にもなり得る。しかし、それでも私は、この変化を肯定的に捉えている。なぜなら、社会が成熟し安定するほど、統治や教育の手法は威圧的なものから融和的なものへと移行するからである。
発展途上段階にある社会では、秩序維持や生産性の確保のために、一定の強制力や上下関係が求められる。だが、社会が熟成し、豊かさと安定を得る段階に至ると、次に求められるのは「個人の尊重」と「共感的調和」である。つまり、現在の教育や若者気質の変化は、日本社会が成熟社会へと移行した証でもある。
実は、こうした変化は現代に特有のものではない。歴史を振り返れば、江戸時代の日本にも、同様の現象が見られた。社会の安定とともに人々の価値観が変化し、社会や人間関係のあり方が「厳しさ」から「柔らかさ」へと転じていったのである。その点について、次稿で改めて考察したい。