せいり | 思いの坩堝

思いの坩堝

モノカキになると誓った元単身赴任会社員の文章修行場です!

ペタしてね

年末年始とつかの間の安息の日々を過ごし、1月4日から仕事が始まり、日々を忙しくやり過ごすうち、すっかりこの場所から遠のいてしまっていた。

書きたいことはいくらもある。

この1ヶ月たらずの間に、20冊近くの本を読んだ。
また、映画も観たし、街の散策もし、さまざまな思いを重ねてきた。

メモは取っているが、まとまりのつかぬまま取り留めなく書き記すのを潔しとしない。

さりとて、落ち着いて文章を練るほどの時間的な余裕がない。

頂いたコメへの返答も忘れてはいない。

なのに、PCのウィルス対策ソフトがうまいこと動作しない。
再DLを繰り返し、インストールも再起動も数え切れないほど繰り返した。

貴重な時間はこうして空費されていく。

PCが便利な機械であることは論を待たない。
しかし、ときには、ノートのほうがはるかに有効で効果的なこともある。

文具好きの私にはたまらない瞬間ではある。

さて、なぜ本日はこのような文体なのかと言えば、最近私の中で流行っている、過去に読んだ本を読み返してみるというのを実践したことによる。

具体的には、浪人の頃に読んだ本「思考の整理学 (ちくま文庫)」の影響である。

当時、哲学や思想に関する文献にあたる際に、なぜ同じ日本語で書かれた文章でありながら全く意味が取れないんだろうと素朴な疑問をもっていたところ、予備校の先生に勧められ読んだこの本の「情報のメタ化」の考え方に触れ、大いに腑に落ちた記憶がある。

しかし、細かな内容はすっかり忘れてしまっていた。

最近書店で、東大生に最も読まれている本、とかなんとかキャッチフレーズをつけて平積みされているのを見て、再読してみようと思った。

結果、最近のビジネス書などとは比べものにならないほどに内容が濃くて深い。

・見つめる鍋は煮えない
・欧陽修の馬上・枕上・厠上の三上の話
・時の試練
・収穫逓減の法則
・拡散と収斂   等々

今読んでもとても役に立つ気がする。

平易な言葉で、抽象的で難解な「知」の技術について語られていて、興味が尽きない。

「20数年にわたり自分の思考をまとめたノートが53冊になり、我が思考ここにあり、と思うのがなかなかいい気持ち」という著者が羨ましくて仕方ない。

でも、たった53冊のノートに納まってしまうのか…とほのかな寂しさをも感じた。

よほど欲張りなのか、未練がましいのか。
肥大化する自己顕示欲をほとほともてあましたりもする。

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