人を幸せにするということ(2) | 思いの坩堝

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モノカキになると誓った元単身赴任会社員の文章修行場です!

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(かわむらたかし氏を見たという話のつづき…やっと書けた)

名前の表記にどんな漢字をあてたらいいのかわからないほど、「かわむらたかし」氏のことを知らないので(住民票も移してません)、そこいらのおっさんとしか思いませんでしたし、だから批判も擁護もできないのですが、まがりなりにも全国で18箇所しかない政令指定都市である名古屋市の市長に選ばれ、しかもテレビを通じて全国区(かどうかはわかりませんが)に名を馳せようという方ですので、それはもう、好きとか嫌いとかいうレベルじゃなく、そういった立場になれただけの何かを持って生まれてきたか、身につけてきた人であることは認めざるを得ません。

だからといって、具体的にどんな生き方をして、どんな紆余曲折を経て、どんな努力をし、才能を活かし、運とタイミングをつかんでここまで来たのか、ということには、物語としての面白さはあっても、実はそれほどの興味はありません。再現性のない成功話ほど、語り手と聞き手の温度差の激しい話はないからです。

でも、このおっさんにサインをねだり、声をかけてもらいたがり、握手を求める人がこんなにいるんだ、という現実は少なからず私の興味を惹きました。

自分の番を終えた者たちは皆一様に、少し蒸気した顔をし、口の端が少し上がり、または満面の笑みでその場を立ち去っていった。心底嬉しそうに見えました。

特定の仕事やポジションが、特別偉いとか人間的に上とかいうことは考えたことはありませんが、約1億2700万人の日本人の中で、名前や顔を覚えられている人というのは、それだけ強いインパクトを与えることに成功した人なのだろうと思います。

そしてそのインパクトの与え方の内容に応じた反応が、世間というか社会から本人に返ってくるのは自然なことです。人に脅威を与え、不安にし、不快な思いをさせた者は、例えば犯罪者なんかは、それが悪辣で残虐で信じがたいものであればあるほど、それに見合った反応を受けることになるのでしょう。

であれば、彼の場合、市長としての働きっぷりはよくわからないけれども(それも問題でしょうけど)、これだけの笑顔を向けられるってことは、たとえ一面に過ぎないのだとしても、幸せな人だなあと思いました。

幸せの量なんてはかれやしないし、比べられるものじゃないけど、人を幸せにすることのできた総量が多ければ多いほど、幸せになれる可能性がかなり高まるんだろうなと思います。

こんなことが書きたかったんだっけか?
と疑問を抱きつつ、やっとこの話を終わります。

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