我に返る | 思いの坩堝

思いの坩堝

モノカキになると誓った元単身赴任会社員の文章修行場です!

今帰路についています人刀です。
おばんでおま。

ペタしてね

今日はグッドニュースとバッドニュースがありました。

グッドニュースは、同僚の近い将来かみさんになる女性に会ってご挨拶ができたこと。

バッドニュースは同僚の親父さんが悪性の癌だと聞いたことです。

両者ともに同僚の枠を超えた信頼の証ですので嬉しい限りですが、なかなか考えさせられました。

前者は、秘密ということについて、後者は人生について。

まずは前者から。

同僚が恥ずかしがって誰にも会わそうとしなかったかみさんに、偶然の成り行きとはいえ自分が初めて会わせてもらえたんです。これは嬉しいことです。

といって、もし自分がそれを皆に話したら、
「なんで人刀だけ!?おれにも(私にも)会わせろや(会わせなさいよ)!」
となるのは火を見るより明らかなので勝手にしゃべれません。

でも彼も内心、友人も知人もない土地にただ彼といたい一心でついて来た彼女の現状に、人知れず引け目を感じているのは間違いなく。
同時にそこはかとなく重荷に感じてたりもしているような。

それなら気のあう同僚達と仲良くつきあえるように、決心のつかない彼に代わってお膳立てしてやろうかと、むちゃくちゃおせっかいなことを考えてもみたり。

でもやっぱり、プライベートなことにあんまり口出しするのはいかんよな、などと思ったり。

しばらく様子をみて、あんまりいつまでももじもじしてるようなら、こっそりお食事会くらいサプライズで企画してやろうかと思ったのでした。
まったく、世話が焼ける(^∇^)


そして、もう一方は。

責任ある仕事についている同僚が突然明日休むというので、理由を聞いたら、親父の手術だという。

どこか悪いの、と聞いたら、癌でよろしくないという。

まったく普通に仕事してたのに。

随分以前から闘病生活を支えていたようだ。

なんなのだろう、変な同情心なんて余計なお世話でしかないと思うのに、この落ち込みようは。

自分の親父はまだ健在だが、それだって数年前心臓をやられたし、高齢だからいつどうなってもおかしくない。
とはいえ、今すぐどうということもなく、とりあえず今は健康だ。
孫に会えないということ以外は。


昔、付き合い始めたばかりの彼女の親父さんが亡くなったことがあった。
彼女は私が励ますまでもなく、すぐに元気になった。

彼女の親父さんは商社マンで、始終世界を飛び回っていたから、小さい頃からあんまり思い入れがないという。

私はショックだった。なんてドライなんだ。

親父だぞ?お前のお父さんなんだぞ?この世からいなくなったんだぞ?

自分が同じ立場だったら、随分泣いただろうと思った。

引きこもったかもしれない。
自分は親父に対して随分深い情があるんだと思った。
とてもウェットだ。

世の中には、家族の絆とか、家族の形が、自分の思うものと全く違う人がいるんだとひどく心に残った。
この溝は埋められないと思った。

それはだんだん大きな隔たりとなり、結果、別れることとなった。

今考えたら、彼女は強がっていただけなのかもしれない。
世の中の表面しか見えてない男に余計な心配をかけたくない、もしくは、言ってもわからない。
本心をさらけ出す付き合いの仕方はできてなかったんだろうと思う。


そして、同僚。

「親父、『癌』なんですよ。」

「癌」という言葉が、妙に質量をもって耳に届いた。
不気味なくらい生ぬるく生臭い現実味を帯びた実体として。
ひとごととは思えなかった。

なんかしらない、泣きそうになった。

すごい衝撃だ。すさまじく破壊力をもった単語だ。

仕事で誰かにどやされたこととか、理不尽な辱めを受けたこととか、なんてちっぽけなんだろうと思う。


実際どんな気持ちになるだろう。
自分の命の炎が燃え尽きそうになっているとわかったとき、私は。

子供に、かみさんに何を残せるだろう。
自分と関わって幸せだったのかな。
悔しさで、寂しさで、胸苦しさで、気が狂うだろうか。


親は、私にどんな思いを持つだろう。

いつまで経っても、おじさんになっても、子供は子供だ。
心配は尽きないはずだ。
いつまでも力の入れる場所がわからずふらふらしてる私なんかなおさら心配だろう。
申し訳なく思う。


記憶に残る人になりたい。

思い出したときに、ほっこりあったかい気持ちになるような。

えらい人じゃなくていい。

ばかな奴だったと笑ってもらえたらいい。

そして、まだ生きてて欲しかった、って一粒だけ涙をこぼして欲しい。


思いの坩堝

にほんブログ村 小説ブログ 小説家志望へにほんブログ村