ブログネタ:ブログを書く理由は?
参加中世の中は百年に一度とも言われる未曾有の大不況の波に見舞われ、生きていくのがなんともハードな時代です。
と大上段に始めてしまいましたが、書きたいのは「価値」についてです。
こんな時代なので、モノは売れにくく、人々はリストラや減給におびえ汲々としています。
余暇やワークライフバランスを考える余裕はなくなり、いかに自分の価値を高めるか、に関心が持たれています。
余暇やワークライフバランスを考える余裕はなくなり、いかに自分の価値を高めるか、に関心が持たれています。
具体的には、英会話を始めたり、手軽に取り掛かれる資格の取得にやっきになったり、ビジネス本を読み漁ったりといったことです。
ただ、わたしは非常にこれは危険なのではないかと思います。
もちろん、毎日飲み歩いていた生活からの修正などということであれば結構なことだとは思います。
ただ、とにかく不安で、自分に付加価値をつけたいから、現在の仕事とはまったく関係のない資格をやみくもに取得しようとする、という態度がもしあるとするなら、逆効果なのではないかと思うのです。
ただ、とにかく不安で、自分に付加価値をつけたいから、現在の仕事とはまったく関係のない資格をやみくもに取得しようとする、という態度がもしあるとするなら、逆効果なのではないかと思うのです。
自分の価値ってなんでしょう?
ドラえもんの作者である、藤子・F・不二雄の短編に、「値踏みカメラ」というのがあります。
ドラえもんは当然ながら出てきませんが、ドラえもんの道具のようなカメラ=値踏みカメラというのが出てきて、それを使用することでドラマが展開していくというつくりの話です。
値踏みカメラというのは、見た目は普通のポラロイドカメラのようで、写真を撮るだけなのですが、
その写真に仕掛けが施されています。
つまり、名前のとおり、価値を教えてくれるというモノです。
その写真に仕掛けが施されています。
つまり、名前のとおり、価値を教えてくれるというモノです。
風景やモノは映らず、人物のみが映った写真の4隅にボタンがついており、そのボタンを押すと、それぞれ、
「本価(原材料費)」
「市価(正札価格)」
「産価(被写体が将来生み出す利益)」
「本価(原材料費)」
「市価(正札価格)」
「産価(被写体が将来生み出す利益)」
そして最後のひとつは
(ネタばれなので原作や最近映像化されたドラマを楽しみたい方は、そちらを楽しんでから戻ってきて欲しいのですが)、
「写真を撮影した人が被写体に対して考える価値」
が、写真上に金額で表示されるというものです。
わたしは、上記のやみくもに自分を高めようとする態度は、市価の向上には少しは結びついたとしても、産価の向上にはつながらないだろうと思います。
ましてや、撮影者の個人的価値などは、どんどん下がるんじゃないか。
昔、大きい挫折をして、自分がちっぽけで価値のない人間なのではないかと悩んだときに、雑踏に佇んで、誰でもいいから、
「君はなんて価値のある人間なんだ、君にはどれだけ払っても惜しくないよ」
などと言ってくれる人が現れないものかなどと馬鹿げた夢想をしたことがありました。
実際の方の思いの重さには到底比較にならないと思いますが、気分は売春婦、いや援助交際で自分の存在を確認する女子高生になった気分でした。
意味がわかりません。
イイタイコトがまどろっこしくなってきましたが、
価値というのは、自分の与えたサービスに対する受け手の喜びの度合いを数値化したものと考えています。
ですので、絶対的な基準などありません。その受け手を誰と想定するかによって価値は変わってきます。
ですので、絶対的な基準などありません。その受け手を誰と想定するかによって価値は変わってきます。
先のわたしの個人的な経験などは、何も与えるものがないのに見返りを期待した、まったく意味のない行為だとわかります。
そして、やみくもに自分を高めようとがんばっても、価値を決めてくれる受け手の想定があいまいなままでは、求める効果は望めないだろうと思うのです。
受け手を、会社とみるか、その先にある消費者とするのか、転職をにらんだ業界とするか、不特定多数とするか、家族とするか、全部ひっくるめてなのか、その想定なくして、漠然と自分の価値を高めるということはできないのではないかと思います。
またその手段も、それ以外にないのか十分な検討が必要です。
資格を取るよりもサービス残業をしまくるほうが、会社にとって有用なのかもしれません。
あるいは、さっさと定時でかえって、自己啓発をしてくれたほうがいいと望む会社もあるでしょう。
あるいは、さっさと定時でかえって、自己啓発をしてくれたほうがいいと望む会社もあるでしょう。
わたしがこのブログを始めた理由は、わたしの敬愛する開高健に村上龍、山田詠美や寺山修二、谷川俊太郎とか太宰治、芥川龍之介に江戸川乱歩のような、自分がお金を払っても読みたい文章を書けるようになりたい、というひどく個人的なものです。
ところが、せっかく始めたこの雑記帳も、書きたいことは山ほどあるのに、面倒がって億劫になってしまっていました。
これではいけない。
これではいけない。
死んでも毎日!などとハードルを無理無理高くして、むざむざ苦しみにあえぐ趣味はないですが、多少なりとも自分に負荷をかけねば、「惰性→飽きる→放棄」となってしまうことは目に見えているので、できるだけ毎日!という
気持ちで続けていきたいと考えます。
ほとんど説得力はないんですけれども。
そうすることで、わたしの価値が高まったりしたりすれば、
継続は力なりという使い古された言葉のもつ本当の意味が伝わるんだろうと思います。
継続は力なりという使い古された言葉のもつ本当の意味が伝わるんだろうと思います。
どうか、その日を渇望しつつ、なまあったかい目で見守って頂ければと思います(願)。