日本はなぜ戦争を始めたのか?日米開戦の正体
お盆ですね。1年前森永卓郎さんの「書いてはいけない」が驚愕過ぎて、(未だの方に超お薦めいたします)ママ友のむっちゃんに貸したら代わりに渡されたのが「日米開戦の正体」孫崎 亨(うける)氏日米開戦の正体Amazon(アマゾン)どえらいぶあっつい本。遠慮したかったけれどとりあえず、ちょっと読んでみました。確かに、何故日本は真珠湾攻撃をしたのかを知る必要はあると思いまして。めちゃくちゃ登場人物が多くて、その漢字が全くもって読めないくらい小難しくて溜息なんだけど、その時代に入り込んだごとく興味深いです。1年がかりで、適当に読み読み終えました。難しいところすっ飛ばしてわかる範囲だけでものすごく大まかに。私がこういう意味かな?ととらえたことだけを抜粋してみました。何故開戦したか?ぶっちゃけて言うと、ほとんどの人が負けると予想できていた。開戦には反対していた。という事実。これは全く知らなかったです。それでも突っ走った経緯が、綿々と綴られている。まず、歴史的な流れで見ていくと日本は、1904年日露戦争でロシアと戦い、勝利します。それでいい気になって、勝てると勘違いをするのですが、これが大間違いでした。この時は戦費が全く足りないので8割を外国から借りていたし、米国英国の支持を得て(日英同盟)の戦いだったというのが大きい。財政的には破綻しています。夏目漱石は、大国と戦う日本を、「牛と競争をする蛙」に例え、もう腹が避けるよと言っていました。軍備に必要な鉄鋼生産においては、日米間では1対10の格差があった。その後日本は満州に進出、再びロシアが南下してくるのに備えなければならない。国家予算の30%が国債で、30%が軍事費、インフレ上昇、増税、社会不安が増大するため、社会運動が勃発抑えるために弾圧する。政策が過激になる。まともな政策がとれない。これが構造的なしくみ。日本が中国に進出することにより、米英とも対立することになった。というのがいきさつです。児玉源太郎(陸軍参謀総長)はじめ陸軍軍部は、満州を権益にしようとする。対し1906年に伊藤博文(元首相)は満州を属国にすることに反対していた。遼東半島と満州鉄道のみを譲り受けるというポーツマス条約を守ることを主張した。米英の反発と、中国国内の抵抗運動を避けるために。しかし1909年10月、伊藤博文は、安重根に暗殺されてしまう。彼が生きていれば歴史は変わったかもしれないと言われています。海軍は反対派だったのに、だんだんにやりこめられた感じです。反対する人がいなくなり、軍部はどんどん中国進行をすすめる。米英は怒る。日露戦争と満州への進行が大きなきっかけになったというわけです。米英は日本がこれ以上アジアを占有しないように石油の輸入を止めたり、武器の供給をしなくなる。これが、大雑把な流れのようです。*****大まかな年表的に見てみると国内一次大戦までは成金国だったので、日本国民の慢心があった。1920年日本の経済大恐慌、悪化の一途1923年関東大震災で財政緊迫。士気が低下 し、満州でうっぷんをはらそうとする。1930年昭和恐慌:右翼思想、国粋主義の台頭、物価株価下落、倒産、夜逃げ、労働運動勃発1931年血盟団が政治経済界指導者暗殺続く世界1929年ニューヨーク証券取引所で株価の大暴落。大恐慌始まる。米国も経済的に厳しい。1931年オーストリア大銀行破錠し。世界大恐慌到来。1931年9月 満州事変は、首相、外相の承認なしで実行した暴動とみなすことができた。1937年7/7 盧溝橋事件 ささいな銃声一発から始まった。日中戦争の象徴的な地。モラルチェックが失われた残虐行為が繰り広げられた。この事件から起きた日華事変の発展したものが太平洋戦争。日華事変は柳條溝から発火した満州事変の発展したもの。満州で悪活躍したおどろおどろしい人物甘糟雅彦は、憲兵トップ。関東大震災の混乱に乗じ、大杉栄・伊藤野枝らを殺害。岸伸介らの支持。満州建国に尽力し映画協会理事長後、終戦直後自決。1937年日独伊三国防共協定独は日本に、英米を対象にした軍事同盟をもちかけるが、海軍は相手をソ連に限定したいので反対する。陸軍とは対立関係になる。1939年2/8駐日グルー大佐は日米戦争は愚の骨頂と説いて回った。7/26日米通商条約破棄通告 1940年陸軍は対米戦争を避けようとする米内内閣を倒す。8/23三国同盟に反対していた山本五十六は連合艦隊司令長官に。9/27近衛文麿は、戦争しないという信念を持ちながら、戦争推進派の松岡外相・東條となれ合いで三国同盟締結。1941年7月近衛文麿内閣崩壊続けていれば、戦争はなかったかも。候補の東久邇宮稔彦殿下が首相ならば真珠湾攻撃はおきなかったかも。昭和天皇と木戸幸一内大臣が阻止した。そして諸悪の根源11月東條英機が就任して、起こす。真珠湾攻撃は米国に仕掛けられた罠だったのか?アメリカが仕掛けたのだから、日本は悪くないのだよといばっていた前の職場の右翼のおじさんよ。仕掛①1939年日米通商条約の破棄により、1941年8/1日本にのみ石油の全面禁輸が可能となる。 ②1939年独ソ不可侵条約締結により、日本がソ連と戦争してもドイツは助けてくれない。 日本はソ連をあきらめ、南方へ進出⇒日米開戦へ向かうはめにこのような策に引っかかるほど、日本は無知無策であほであっただけのようですね。日本歴史上最大の愚挙。事後の検証軍部の野望に対して、効果的な抑制を加えることが不可能であった。と東京国際軍事裁判で言われた。戦争に反対する人はちゃんといた。しかしそのような人たちはことごとく暗殺されてしまったんです。伊藤博文も、じつは反対勢力の日本人側から狙われていて、安重根をさし向けたと言われています。きっとそのように操作されたんですね。その後、山縣が力を持ち、戦争に向かう。不法な暴力で、民主主義を壊滅させた結果なのです。情報を軽視した無知。抽象的な観念論を好み、具体的な理性的な方法論を検討しようとしない。大丈夫。勝てるという思い込み。の結果であった。もう一つは、日本人の常習となっている妥協や黙従によるもの世論が頼りない。市民一人一人が、良心に対する危機感を強くし、個人的な責任を果たすことが大事である。日本には、声をあげる文化がないので、ここは大きな課題だなと思います。┈┈┈┈┈୨୧昨夜はラーゲルより愛をこめてという映画をTVで観ました。何で、戦争終わってるのにソ連に連行されて、戻れないのか?が疑問だったので。8/9にソ連が満州を占め、ハルビンなどにいる日本兵たちは収容所へ連れていかれた。シベリア開発を担わされる。ソ連は国際法に違反し、戦後の混乱に便乗しているので、法律無視。全くひどい仕打ちです。帰国のめどがたたないまま、脱走しようとして殺されたり、重労働で息絶えたり。ただ生きるということがこんなにも過酷なことを、思い知らされます。山本さんは、生きる希望を失わず、みんなが人間性を失わないために奔走します。皆の光となり、戦った山本さんをみんなは崇めますが。涙なしでは見れません。戦後11年.ソ連との国交が回復して、ようやく帰国できたのでした。よく、耐え抜いたよね。私の祖父も戦争で台湾に行ったそうです。8月に終戦ですが、戻ったのは翌年6月。マラリアにかかり、高熱で何か月も寝ていたそうです。私の記憶にある祖父は、いつも炬燵で座ってテレビを見ているだけの人でした。生き生きとか、笑顔とか元気とかを感じませんでした。トラウマとかあったのかもしれませんね。戦争は、始まったら何もかもめちゃくちゃになる。秩序も人権も無い。だから絶対に許してはいけない。今、軍備に備える動きに言及する党が出てきて怖いです。気を緩めたらいかんです。山本さんの長男が歳をとり、孫娘の結婚式の祝辞で遺言を引用し、幸せについて語っていました。関係ないけど、その娘が「エビで鯛を釣る」のヒロインさんでした。可愛い。※お越しいただきありがとうございました。