こんにちは☆


かなり久しぶりの更新です。


上司のススメや、最近の会社の流れなど鑑み、またまた書いていこうと思います。


ちょうど書けそうなネタがあることですし。



今回のブログのテーマは『捧げる』です。


これは今日一日の僕のテーマでもありました。


最近は一日一日、毎日違ったテーマを意識して過ごしています。


意識的にテーマ設定をしているというよりも、勝手に意識が集中するテーマが浮かんでくる感じです。


直近では、『人間の悲しみや醜さ、弱さなどをすべて許す』であったり、『呼吸をとにかく深くする』ということであったり、なぜかそうしてみたら良いんじゃないかと思う事柄が勝手に浮かんできて、実際やってみるとしっくりくるという感じです。


んで、今日のテーマは『捧げる』だったわけです。


前日ふと、『いのちのごはん』という本を読み返した時にひっかかってきたキーワードが『捧げる』だったわけです。


前に読んだときにはまったくピンとこなかった言葉でしたが、今回はかなりひっかかりました。


『これいいな』と思ったわけです。


感覚的に捧げるっていうのがしっくりくるんです。


モノをつかむときも、歩くときも、料理を皿に盛るときも、出汁の味見をするときも。


誰に捧げるかっていったら神様です。


一番神聖で、作業が丁寧に気持ちよく行えるからで、愛念も込めやすいし、非常に引き締まります。


すべての行動を神様に捧げるという意識で行えたわけではありませんが、事あるごとにその意識を思い出して、その意識に戻ってやるというのは非常に有効でした。


かなり行動の基本軸となってくれました。


『捧げる』というテーマ、非常に重要だと思います。


そんなこんなで過ごした今日の最後には明日のテーマになりそうなキーワードがまたまた浮かんできました。


明日は『安心感』です。


実はもうすでに『安心感』というのを非常に意識しながら過ごしています。


すでに素晴らしい効果を発揮しています。


『安心感』という目線で見ると安心感のない状況というのが浮かび上がってきて、それを改善しようとする意識が働きます。


これは判断の基本軸となってくれそうです。


それは『安心感』が持てるのか。


あるいは不安から判断・選択をしていないかどうかも分かってくると思います。


不安から判断・選択したものの結果はやはりよくないものとなるでしょう。


『安心感』に満たされながらする判断・選択は自ずと的確なモノになると思います。



と、そんな思いも胸に明日は『安心感』を抱きながら、一瞬一瞬を過ごしてみようと思います。



どうなることやら楽しみですな:*:・( ̄∀ ̄)・:*:



それではみなさんごきげんよう(*゜▽゜ノノ゛☆

という映画を観てきた。


以下あらすじです。


詳細不明の災いに見舞われた世界で、名前のない父と息子は道を南進する。舞台は南西アパラチア山脈 。災いから約10年間がすぎ、ほとんどの動植物種は絶滅し、文明は消滅し、灰色の厚い雲と気候変動のために植物は生えない。生き残る人類の大部分は人食い 部族として存続している。

父子は、飢餓凍死 の危機をはじめさまざまな恐怖を経験しながら、倫理 や理想を捨てずに進み続けようとする。神は死んだ という着想の言及は多いが[1] 、父は道徳と信仰を捨てない。彼の考えでは、自分の息子は神聖なる受肉 であって、生命に意味を与える存在である[2]

結末で父は荒野に病死し、息子には生き続けるようにうながす。「あなたは火を持って行かなければならない。」[3] 数日後、息子はある夫婦に発見され、家族の一員になる。



基本的には終始悲惨なシーンが続きます。


最後エンディングのクレジットで映像はなく、かすかに主役の息子と最後に登場する家族の団欒らしきかすかな笑い声などが聞こえてくるが、たしかな結末は示されなかった。


非常に重たい映画で普通に見れば、この映画は何を訴えたいのか、何を表現したかったのかよく分からない映画でした。


なので僕は必死にその映画から意味を汲み取ろうとしました。


そして先ほどここ最近の僕の流れからひとつの解釈をしてみました。


それは思考(想念)は現実を創造するということです。



親子はタイトルの如く道をひたすら南進します。


極寒の大地から逃れ、あるかは分からないが、きちんと人が生きていける環境を求めて。


その道すがらで様々な人物が登場し、親子は様々な体験をします。


人食い集団。


強盗。


弱った老人。


親子は基本的に倫理・道徳を守りながら南進しますが、父と子の倫理・道徳の在り方に差があるように僕は感じました。


父は基本的に息子を守ること、自分が生き延びることに必死で、倫理・道徳はその次といった感じがします。


息子を守るためなら人も殺すし、弱った老人も見捨て、強盗にも復讐をします。


息子は純粋無垢に弱った老人を助けようとします。父が強盗への復讐として奪った衣服などなどを返しに元の場所へとそれを届けます。


これらの行動はそれぞれの思考の違いからきます。


父は不安という思考ゆえに殺し、見捨て、復讐します。


息子は表面的には不安を抱きますが、根っこのところでは愛を選択します。


困っている人を助け、自らの敵である強盗にも慈悲を与えようとします。


この思考の違いから生まれる行動が最後に二人の運命を決定的に分けます。


最後に登場する夫婦はずっとこの親子のあとをつけていました。


そして最後親子の父親が死んだときに登場し、息子を家族に引き入れます。


そして最後、ハッピーエンドを暗示するようなエンドロールにつながります。


父は息子に執着するあまり、愛を忘れ、善き人であることをやめました。


父の行動は夫婦にとって仲間に引き入れるには危険と映ったことでしょう。


あるいは父の不安からくる行動は協力を申し出ても、拒否されるかあるいはよくない出来事が起こるであろうと予想するに十分であったと思います。


対して息子は常に愛の行動を示しました。


この子供の行動は夫婦の申し出を導くに十分であったと思います。


このように、北から南へ南進する一本の道を進むときにどんな考え(想念)を持ち、どんな言葉を語り、どんな行為をするかによって現実が創造されました。


父は救いのないうちに死ぬという現実を創造し、息子は生き延び善き者である夫婦たちとの笑い合える現実を創造しました。


息子はあらすじにもあるように火を持って行ったのです。


火を運びきった。


善きものであろうとし、愛を常に選択し続けた。


結果そのような現実が創造されたわけです。



この映画は人の思考(想念)次第で映画に登場するような絶望的な現実も、そんな現実の中にあっても、エンドロールで聞こえてくるような、あたたかい現実も創造しうるのだと訴えていると解釈することができると思いました。


それほど人の思考や想念は現実に影響を与えていると暗に示しているように感じとりました。


そんな思考や想念ですから、常に自分が選択しているのは愛なのか不安なのか注意して見極めていかなければならないと強く思います。

という本を読んでいますw


またかよ!って思われる方いらっしゃるかと思いますが、・・・またです(笑)


著者はニール・ドナルド・ウォルシュさん



私生活、仕事などなどすべての面で行き詰った著者が怒りまかせに書き綴った神様への手紙を受け、神様が著者と対話を始める。その内容が書かれた本です。



ホントかよ?!って思うけど、それがホントかどうかはさほど問題ではない。


大事なのは書かれている内容。


まだ100ページくらい読んだだけだけど、「すげぇ本だぁ」と思う。


内容はとにかくぶっとんでいるが、妙に納得する。


「そうそう、そいうことなんだよね。」って書かれている内容を読む度にひとつひとつ思い出していく感じ。


『生徒の準備が整ったところで教師が現れる』とこの本で書かれているけど、本当にその通りだと思う。


今のタイミングでなかったら、こんなに理解したり、腑に落ちないと思う。


この本知らない方で気になったら、みなさんもぜひ手にとってみてください。



『神との対話』より


「深く探ってみれば、人間の行動には二つの動機しかない。不安か、愛か。・・・・・・これが支える思考と私が呼ぶものだ。愛という考えか、不安という考え。そのどちらかがすべての思考の陰にある。このふたつは最初の思考、最初の力だ。人間の存在というエンジンを動かしている生のエネルギーだ。」