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ゆにのブログ

~気づいたら37歳歳~ 27歳で子宮頸がん1b1期から、術後病理結果で1b2期へステージUP 広汎子宮全摘(卵巣温存)⇒転移はなかったものの腫瘍がナント6cm⇒2013年10月抗がん剤治療終了→仕事復帰→2015年6月、結婚しました!→2018年バリバリ外回り営業→2022年IT営業なう

大学4年生になったばかりの時。
バイト2つ掛け持ちし、バンドサークルで酒三昧。
充実した、いかにも「大学生」な生活を楽しんでいたある日の事

朝、バイトにいこうと思ってメイクしてヘアセットして、もう家を出るだけだという事に
がくんと膝の力が抜けてしまって立てなくなった。
あれ?と思ったらそのまま床に寝そべってしまい、動悸がひどくしばらく動けなくなった。

なんだかおかしいと思い、メンタルの何かかな?というのがふと浮かんだ。
当時ちょーど厨2病こじらせてた私は、メンヘラがかっこいいものだと思っていたのもあり、自分もついにきたかーなんて喜んでいたくらいだ(痛すぎw)

心療内科に向かい、なんか体がおかしいと伝える。
そこの医師に問診などもちゃんと見てんのか?っていうレベルでさくさくカルテを書いていき、当時一番メジャーだった軽い安定剤を抗うつ剤を処方された。

ここからは地獄だった。

私は人為的に鬱病にされたのではないか?と思う事が今もある。
もちろんもともと要素もあったのだろうけど、それから確実におかしくなっていった。
当時別れた彼氏が、実は私の親友とダブっていたと言うことがわかって殴り込みに行き、その親友の元彼の家にいってそのまま一発ヤってその後一年間付き合った。
なれそめは最低だけど、その新しい彼氏は相当なヤンデレの私の面倒もみてくれた。一年間、私は実家に戻らずその1ルームに居着いた。

恋愛依存がちだった事もあって、どんどん情緒不安定になって、気づいたら薬もどんどん強くなってった。
眠剤は8ミリとか当たり前に飲んでいたし、三環系の薬も大量に服用して(オーバードーズ)昏睡しているのもザラだった。
ODして目覚めた時の体の重さは尋常でなく、他党と思ってもたてずによろけて色んなトコをケガした。

失禁なんて当たり前。トイレに向かったまま、便座に顔つっこんで寝てる事もあったらしい。
それでいて、そんな状態の私でも支えてくれた彼氏がいるにもかかわらず
共通の友人である男の子と浮気して泥沼化もした。ほんとに当時の私は終わってた。最低甚だしい。
やっちゃいけない事、わるいこともたくさんした。

うつって心がしんどいだけではないんだよ。
みぞおちのあたりを、人差し指と中指でぎゅーっとおされてる感覚がずっと続く。
動悸もひどくて冷や汗もたくさんかく。息もあがる。
ずっと胃酸がシュワシュワしている感じで、ただダルくて寝てるしかできないだけだと思ったら大間違い。

私は当時薬を乱用しすぎたせいで、よっぽど強い印象が残っていない限りはほとんどの記憶がない。
大学4年の春から24歳になるまのでの2年間、思い出せない事があまりにも多い。
友達に「あんな事あったんだよ」って言われて驚く事ばかりだ。

そしてついに私は、たばこの煮汁と風邪薬を大量に飲んで救急車に乗った。


どう、どん引きでしょうw
私も今こーやって書いてて、なんかもう全然違う人を見てるみたいな気持ちなんだよ。
あの過去が今の私を形成しているんだけど、でももうあの頃には絶対に戻らない。
私がメンタルを壊してしまう事は一生ないと誓える。

まぁそこからも色々あったんだけど、結局21歳で発症して完全に断薬できたのは26か27の時だな。
6年くらいか。
一生つきあっていかなければいけない人もいる中、私の完治は早かったほうだと思うんだ。
んでもうね、そんな事があったから
死にたい死にたい思ってた私が、生きたい生きたいって今は泣けるって素晴らしすぎるでしょ!

そして今の会社に入って、アルパカに出会って、何もかもがスムーズにうまくいっていた。
なんか、こんなスムーズでいいのかなぁ…怖いなぁ。
って思ってたらガンになったwwwwwwwwwwwwwwwwwww
とことんツイてない私。

思い出せる限り書いたけど
最近はもう、へらへら~ってほわ~んって毎日スゴしてる。
生きてるって素晴らしすぎるでしょ。生きてるだけでいいんだよ。何もなくとも。
生きてさえいればなんとかなるんだから。
死んじゃったらそこで終わりなんだから。
だからあの時死なないで本当によかった。ガンはやめに見つけられて本当によかった。

全然そんなふーに見えないでしょー私(ノ´∀`*)
今はね、そういってもらえるのが何よりも嬉しいの!

私はばーちゃんになるまで絶対に生きてやるつもりでいるぞっ。


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自分が子宮頸がんになったのは、免疫が落ちていたからと考えられるけど
多分わたしの場合は、20代前半で体を自らボロボロにしてしまった事も大きな原因だと思う。
ちょっと今日は昔の事を思い出しながら…書いてみる。
くらーい話注意!w


うちの母には家族がいなかった。
母親は幼少期に蒸発。いまもどこが生きているらしい。
父親は中学生のとき膠原病で亡くなっている。
親戚の家で育ち、お金もなく苦労をした母親は頭も悪くて荒れていた。
でも、父親を精一杯介抱してくれる看護師さんに心惹かれ、自分も看護師になった。

とにかくうちは昔びんぼーで、私は0歳から保育園に入ってた。
今では「放置子」なんて言葉があるけど、まさにそれに近かったかも。
自分も母もそんな意識はなかったけど、多分そうだったんだろう。
小学校の頃はもちろん鍵っ子。父は転勤で千葉にいた。妹は4つも幼い。
それでも母は夜勤をこなしていた。
うちではそれが当たり前だから、なんの疑問も抱かなかった。

褒めてもらうという事をあまりされなかった。
褒めて欲しいと思って色々やっても、ムッとした顔しかされなかった。
テストで良い点数とっても「ふーん。当たり前」とか、家事を手伝っても「手伝ってもらわなきゃ打ちは生活できないから」とか
「周りはみんな家事手伝ってお小遣いもらってる!!」と泣いて訴えてもシカトされたり。
とにかく、よく頑張ったね~って褒めてもらった記憶が一切ない。
小学生のうちは、朝ごはんが出てきた事なんてほとんどなかった。
食べたフリして、パンの耳のカスをちょっとお皿にまいて小学校へ通った。


母もいっぱいいっぱいだったのだろう。子育てを教えてもらえる人もいなかったし自分の境遇もあっただろうし。
頼りたいときに父は転勤で関東にいて…過呼吸で救急車にのった事もあった。
今でこそ毎日ニコニコしててかわいげのある良い母親だけど、昔の事はどうしても…一生恨むだろう。
自分が普通の環境で育っていなかったんだと気づいたのは割と最近だ。


それが原因かは定かではないけれど、私は屈折した子に育ったと思う。
今でこそ冷静に自分を分析できるけど、当時は多分そういうおかしかった。
授業なんてまったく聞かずに一日中、すべてのノートにお絵かきをして板書なんかしてなかったし宿題もほとんどやった事がない。
偉そうにしたくて、朝登校したら教壇の上に座ってランドセルを友達に片付けされたり
一番愛情を欲していた時期に、自分はあいされていないって当時は確実に感じていたのだろう。

今になってホントにそう思う。

こんな児童期を過ごし、友人に恵まれてそこそこまともにはなっていった私。
大学生になって、「うつ病」を発症する。


続きます
秋に結婚式をあげる友達に会ってきた。
実はまだ誰にも言ってないんだけど、妊娠していると言われた。もう6ヶ月だって。
ここまで近しい存在の友達が妊娠したのは初めてだった。

とびっきりの笑顔で、おめでとうって言ったつもり。
その子は私の今の状況を知ってる。
だけど、ゆにには一番に言おうと思った、って言ってた。
色々考えてくれてたんだろうな。それでもちゃんと言おう!ってストレートに伝えてくれたんだ。
ありがとう、ってちゃんと笑えてたかな私。

今日は旦那のほうも一緒だったんだよね。
おめでとう良かったねー!ってニコニコ言いながら、胃がきゅーっと引き締まる思いだった。

そういえば○○のトコも子供うまれて~……みたいな
私の知らんあいだに、みんなパパやママになっていた。
当たり前。29歳ってそういう時期だもんね。

ご両親喜んだだろうね。
みんなにたくさんおめでとう、って言われて今すごく幸せなんだと思う。

ひがんでるんじゃないの。ホントにおめでとうってのは思ってるの。
羨ましいな、って気持ちはあるけどひがみとはちがくて
彼女達に対しての気持ちがどーのというよりは、自分はなんでそうなれないんだろうなっていうモヤモヤした気持ちが…

はぁ(´;ω;`)

この子とは別に、もうひとりの私の親友は今不妊治療中(原因不明)。
赤ちゃんを授かってほしいと心から思っているけど、私は彼女に対してもちゃんと笑って接する事ができるだろうな。

はぁ(´;ω;`)

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