秋晴れの日曜日。おはようございます。

秋の行楽シーズンの日曜日。コメントはひとまず置いておいて、家族や仲間といい秋の一日を過ごしてくださいね。

で、昨日の最後の私のコメントの補足。

以前もブログで何回も話しているんですが、またまたまた話します。
私の「錬成会」は確かに「外から見てる」だけなら、いびつでウソ臭いです。

で、私はその「正しさ」を証明するために、錬成会では即興のデモを積極的に入れていきます。

それでも・・・。
余計に胡散臭くなる場合もあるんです。「行き過ぎたデモ」は時々「場を冷やし」ます。盛り上がるんではなくて・・・「シーン」としらける、というか「引かれてしまう」というか。。。

「伝える事」の難しさを毎回感じています。

そこで最近では、私の「錬成会の正しさ」を証明するのは私ではなく、追随するみなさんなのだと思っています。
私が上げる「臨床例」ではなく・・・「錬成会」を経験し、そこの学びからあがって来る「臨床例」こそが、本当の意味での私の「錬成会の証明」になるのだと思っています。

最近はこのブログ(「施術家の休憩場所」のほうです)のコメントにも、「通信」の「臨床報告」にもいい「臨床例」が寄せられて、喜んでいます。

だから、ある意味・・・施術者としてのプライドをかけて、ここに集まるみなさんと関わっているんです。ココに集まるみなさんは、その事をすんなりと理解してもらえると思うんですが・・・。

一般常識では絶対に「あり得ないような発想」で人が「改善」していく。
この不思議さやオモシロさに一人でも多くの人が「ハマって」くれればと思っています。

で、ここはいままでどおり「錬成会」の正しい「トレースの場」であってもらいたいと思っています。
それが「学び」の始まりの「正しい姿勢」だからだと思うからです。

初期は、かなり「混乱する臨床例」も見られましたが、最近上がって来る臨床例はしっかり「錬成会内容」を真正面から捉えようとしていて、とても好感が持てます。
この部分をまずは守ってこその「錬成会」での成長です。し、ここの「存在意義」です。

「錬成会」(&「研究会」&「呼吸鍛練法」)、今後ますます加速させていきますよ。
楽しみにしていてくださいね。


で、来年の広島錬成会・・・もちろん12月もあるんですが、会場を押さえるのが一年前ですから、まだ「日程」が決まっていません。
「広島委員会」の黒ベーさんが、また頑張ってくれます(喜・謝)。

広島錬成会は少し異色で、現地の「一般会員さん」が主体となって最近では開催されています。
まさしく「上から下りてくる」錬成会ではなく、「地域が求めて実施される」錬成会です。

で、前回の「広島錬成会」。

知っての通りかなりの「インパクト」で、それなりの反響が今でも続いています。

でも、広島が特別である訳ではないんです。
その「回」ごとで、どういう「契機」があるかです。
そういう意味では、前回の「広島」は・・・まずは「顔ぶれ」がそろった事。
その「顔ぶれ」に対して、私が「個別にプレゼント(?)」を用意して臨んだ事。
一番難しい「デモの流れ」が乗った事・・・。

こういう事項が、異常に「合致」したと言う事です。

それで「アノ広島錬成会」後に、参加者の各々の施術に劇的な「変化」が出た。

前回の広島錬成会のコメント群を読んだ人で、是非「広島に!」と思っても、多分・・・もう二度と「あの錬成会」はできません。
まさに、「一期一会」です。

広島錬成会がすごかったんではないですよ。前回の「広島錬成会」が凄かったんです。つまり、そこに参加していた参加者一人ひとりにとって「凄かった」んです(笑)。

そこを間違えると、今後の広島で失望が起きますよ。
特に次回は「臨床道場Ⅳ・Ⅴ」という私が「やり慣れてない」内容です。
前回の意識で来れば、失望しますし、私自身「前回」とは全く違う意識で臨みます(笑)。

で、どこの錬成会も「一期一会」です。
「臨床の入口」とか「道場Ⅲ」とかいう回の「名称」は私の錬成会の場合、あんまり意味がありません。

受け慣れてる人は分かると思いますが・・・。
「私、臨床の入口Ⅱまでは受けましたから・・・。」というような感覚には実のところあんまり意味がないんです。
「臨床の入口」これまで20回ぐらいはやってますが・・・全部違う「錬成会」です。だから、「臨床の入口」とは何を指して「臨床の入口」というのかは難しいんです。
一般的にはそこで話される「瞬骨」とか「ストレス消去」とか「臓器アプローチ」とか・・・その「話」が、「臨床の入口」だと思っている。

でも、20回の「違う」「臨床の入口」がある。

この事を、先輩・オッコを始めとする人たちは確実に理解している。

で、なんでこんな「現象」が起きるとおもいますか???
それに気づいている人は・・・意外と少ない。
多分、その辺は先輩だけがうすうす感じている???

答は・・・。


簡単です・・・。


私が、まだ未熟だと言う意味において「成長し続けている」存在だからです。
「今の自分」は3か月前の施術者としての自分を「古い」と思える自分です。

私がそのスパンで変わるから、もちろん春の「臨床の入口」と秋の「臨床の入口」は・・・変わります。

「3年前に受けましたよ。」
には、
「・・・・・・・・。」
という感じです(笑)。
(もしかしたらもうそれは「臨床の入口」ではないかも?)

私が「モニュメント」ではなく、今も「苦悩」して「模索して」自分を「変えよう」としている「一施術者」であるという側面を見失えば、私の「錬成会」全体を見失う危険性があります。

「先生は、凄いですね。」と最近良くみなさんに言ってもらえますが(喜)、私が施術で「何か」できる事が「スゴイ」と思っているなら、見間違いです。

みなさんに言う「洞察」と「類推」とそこから見られる世界の「構築」と「変革」に関して、少しだけ「スゴイ」んです。

だから、私の「錬成会」はいつも呼吸をして、成長している。のかもしれません。