<つづき>


と言う事で、錬成会なんかではかなり偏屈な「整体観」「施術観」を話すんですが・・・

なかなか理解できないような。


「施術が行き詰った時に、まぁ、特に『物理的な刺激』の問題に限ってなんですが、

10回振ってもダメなら、20回振って・・・。5の力で押してダメなら、10の力また20の力で押し込もうとする・・・で、施術時間もより長く・・・まるでそれが『当り前』のように。


でも、みなさんは・・・

一体誰に、『それが正しい!』と教わったんでしょうか?

「より多く、より強く、より長く」はなんとなく、世間一般からみたら『それが正しい!』・・・ような気分がする、という只それだけの理由で無批判に、或いは患者さんとの「行き詰った時の」その場の雰囲気を壊さないために、そうしているだけではないですか?」


・・・


「私なら、10振ってダメなら、5。それでダメなら3回振るのにとどめますしそれでダメなら振らないで撫でる。それでもダメなら「撫でた」というイメージだけで修正する事も。10の力でダメだったら、3に、或いは1に、それでダメなら患部に手を触れるだけ。で、ダメならかざすだけで、動診させたりします。

普通はこちらの流れの施術のほうが、煮詰まった時にはうまくいきます。

で、それでもダメだったら施術を止めて、次回に回します。戸に施錠されている部屋には入りたくても入れませんからね。


でも、

臨床的にはそのほうが『正しい』と私は思っていますし、経験的にも自信を持って院ではそうしていますよ。」


でも、「情報修正」の持つ施術効果を正しく理解していないと・・・実のところ「上の考え」への常識のシフトは難しいかもしれません。

確かに、上で話した「逆説」は幾ばくかの、と言うには少なすぎる「人を癒す真理」を含んでいます。ただ、「情報修正」に絡む「場の理論」、それに強烈に絡む「写し鏡の原理」に・・・「より多く、より強く、より長くの発想」が既にとりこまれている施術家は、

永遠にそのハムスターがまわす「輪」の運動から逃れられないかもしれません。


いつも話す事ですが「写し鏡の原理」は、喰われると「その発想から逃れられなくなり」施術自体が気づかぬうちに行き詰ります。

でも、その原理を逆手に取る事が出来れば、「臓器アプローチ」で見られるような仙椎上、骨盤上の少し煩雑な細かい臓器代表点を簡単に特定することもできますし・・・

一般の施術理論からみたら到底考えられないような破天荒で荒唐無稽な

(例えば、対面でも遠隔でも患者さんが施術中に「つぶやく」内容を情報修正する「つぶやき修正法」のような・・・)

とても「自由奔放な施術法」を、結果を伴って発揮できるのです。


「所作で施術するのではありませんよ。場で規定するルールを背負って施術するんです。」

それが「情報修正」で行う施術の第一歩です。

錬成会のデモ中によく話す事ですが、その意味を理解できれば、施術の好不調の波、つまりスランプの波はとても小さくなります。


<つづく。>