生理が終わってから毎夕できるだけ同じ時間に排卵検査薬を使用し、時間と日付をつけ画像に残し、日に日に増えていく検査薬を並べては画像と検査薬を見比べ、
いつ線出るの?え?これ出てるの?
出てきた出てきた!濃くなった!今日からだ!
と、数日間できるだけ朝夕とタイミングをとりました。
タイミングを取り3ヶ月を過ぎた頃、主人の単身赴任が決まりました。
ここから450キロ離れた県外でした。
ここで諦めるもんか!と私は主人の勤務表と自分の勤務表を見ながら単身赴任先へ行ったり、主人が帰ってきた時にタイミングを取りました。
最初の子供が生まれてから5年経っていました。
その頃には親も旦那の親戚も次の子はまだかとは聞いてこなくなりました。
町の役員、学校の役員、学童の役員も回ってくるようになりました。
町と学童の役員の任期は2年、学校の任期は1年です。
いま妊娠したら役の途中で出産して、他の役員に迷惑をかけるなぁ
役員をしていた妊婦さんが途中で仕事ができなくなった事が、あの人はあーだった、あの時こーだったと役員の中で語り継がれていました。
役員をする事で、子供も生みにくい環境になり、
子供のために動いてる人たちなにの妊婦の悪口を言う
気にせず産めばいいと言う気持ちもありましたが、
一人の人生が左右されたり、子供のためにという矛盾がとても引っかかる期間でした。
月経前症候群も相変わらずあり、イライラや不安感、物忘れは日常茶飯事でした。
もう辞めようかな妊活、、、、
4つ離れた兄弟が欲しかったな、、、、
不妊治療の金額をネットで調べたりもしましたが、とても払える金額ではありませんでした。
気づけば9年
主人は単身赴任から帰ってきましたが、できたらできた時と言うようになり、検査薬を買うのもやめました。
、、、、できないまま11年経ちました。
今となっては仕事休んでもっと積極的に病院へ通うべきだったなぁと思うばかりです。
次は癌と診断が下るまでの話をしていこうと思います。