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いつも読んで下さりありがとうございます。
最近は色々と「過去を思い出す機会」がたくさんあり、何かと脳トレされている感を日々感じています。
意識障害から二年目
結局、右足指の痙縮から始まり8ヶ月ほどで左足指と左上肢の指も「小指薬指」から痙縮が始まりました。
対麻痺という状態です。
記憶のほうは、記憶検査以来現在まで検査をしておりませんが、徐々に思い出せるようになり、この「二年目」くらいから関わりのあった子どもの名前や過去の出来事が思い出せるようになりました。
また、手続きなど書類作成は未だに理解できないこともありますが、だいぶ理解は可能となっていきましたが、今度は
手の麻痺状態で字を書いていく(字を継続して書く)
ことが難しくなりました。
私、もとは市役所所属で仕事をしていたのもあり、手続き関係の書類。特に子どもに因んだ手続き関係は触れることが多く、馴染みのあるものでした。
しかし、意識障害以降、その馴染みのある書類すら理解できなくなってしまって、これは自信を失いました。
ただ、人の顔を思い出せるようになってきたことはポイント高く道端で話しかけられても
知らない人との会話から○○さんとの会話
となり、個人的にはスキルアップしたような気分になりました。
この二年目も、ドリルは続けておりました。
最終的には小学5年レベルくらいに算数国語が取り組めるようになりました。
ドリルへの思い
私自身、放課後支援員(学童の先生)をしていたことがあり、学童って宿題を終わらせたりするのでその時にお勉強を教えますので、
またいずれ学童の仕事ができたらなぁ…
という気持ちもあり、
小学生に教える程度に復活
という目標値を作っていました。
これは目標達成に近づけました。
しかし、四肢の状態、集中力問題からの弊害があり学童に復帰という夢は今はもう諦めモードになっています。
二年目は、どちらかというと
身体状態の悪化
が目立つようになりました。全身に症状が出始め現在の病院へ転院にもなりました。
片麻痺時代。当初から「身体障害者手帳」申請の話が出ていました。私自身がどうしても踏み込めず。
しかし四肢に進んでしまいどうしようもなくなり肢体不自由として申請したのも二年目でした。
当時
体の状態はもういいから自分が「自立へ向けての行動に取りかかりたい」
という気持ちが強くなったんです。
しかし、健常な状態の方と比較してしまうと自由は利かず、手助けは必要なのは確かですし、同じ土俵には立てないのはわかりました。
ですので、手帳の申請をしました。
私の手帳申請の目的は、
就活のため
社会に出るための身の回りの環境作りのため
でした。
「障害者雇用枠での就労」
これが私の最終的な目標であり、今現在もこれは変わりません。
ハードル高い目標ですが、目標持たないよりは持っていたほうが気持ちを強く持てますから良いかと思っています。
当時の作品
使わない衣服からリメイクしてアームカバーに↓
私もとから「お裁縫」が好きでした。
どちらかというとミシンがけより「手縫い」が好きで病気になる前からよく作っていました。
娘の家庭科製作を見ていて出会った刺し子にははまりました。
布巾から始まりこのようなクッションカバーも作りました。
お裁縫が好きなのは、母方の影響でしょうか。
母方祖母は和裁をするくらいでした。
私の母も、洋裁中心に編み物や藤作品を作ったりしていました。
なにかしらの「製作」が好きな両親のもとに私は生まれましたので、これを引き継がらせてもらえたのは本当に良かったと思っています。
ちなみに父親は「デザイン関連」「製作関連」に長けてまして仕事も生徒に教えながらこのような研究関連の仕事もしていました。現役時代は大学職員でした。
デザインは絵心ない私なんで、これは似なかったかな~
今日のお弁当は、夫、娘ともお弁当が要らないため作っていません。
申し訳ございません。
週末ですね。
今日は私通院があります。
行ってきますね~
読んで下さりありがとうございました。