以前※ にも書いた通り、今学期を通して


「イタリア映画を通してイタリアの社会問題を論ずる」


大学の授業を聴講させてもらっていた。


先生も8割方趣味で授業を受け持っているようなイタリア人なので日本人の意見を聞くのが面白いらしく、正式な大学生でもない私をずっと無料でクラスに入れてくれ、宿題等も全部見てくれた。


毎週授業で映画を見るのだが、今回はその中でAmore系の映画を一部ご紹介。(ネタバレあります)


Divorzio all'italiana


yunのブルーミントン日記


かの有名なMarcello Mastroianni 主演。

1961年の映画で、白黒。


シチリアの貴族フェルディナンドは、地元の美人ロザリアと結婚し、細々と尽くされているが彼女に飽きてしまっていた。そんな中、40代の彼は、17歳の従兄弟、アンジェラに恋心を寄せる。(実に身の程をわきまえないオヤジである。)

カトリック国イタリアにおいて離婚は禁止。結婚したら最後、一生一緒にいなければならないが、「相手が死んだ」場合は別。

フェルディナンドは妻を殺す事を夢見るようになる。

「配偶者が浮気をしていた場合に名誉を守る手段として行われた殺人は減刑される」

という事を知った彼は、どうにかロザリアに浮気してもらおうと躍起になり、あれこれと画策し・・・。


という内容のコメディ。


フェルディナンドを愉快なキャラとして描いたコメディなので表面的に鑑賞すれば単に笑って終わってしまうのであるが、


イタリア社会における男尊女卑(女しか働いていない、殺人裁判において男女で不平等がある、妻を裏切る夫は許容されるが夫を裏切った妻に対する社会の目は厳しい・・・等)が描かれていたり、


1970年まで法律で禁止されていた(ムッソリーニ政権の一時期を除く)イタリアの離婚問題について知ることが出来たり、


60年代にアメリカ価値観が流入した事からイタリア男性の女の好みが変わったのだが、ロザリアとアンジェラの役を演じた女優においてそれを顕著に知ることが出来る。

つまり、50年代までのイタリア男はロザリア役のダニエラ・ロッカの様なグラマラスなラテン顔の女が好きだったが、アメリカ流がナウいとされた60年代からはアンジェラ役のステファニア・サンドレッリの様な細身で顔つきも華奢な女性が好まれる様になった、と言う訳。


さらに面白いのは、映画撮影の際における実話。

どうやら、監督とロザリア役の女優は恋人だったらしいのだが、撮影が進むにつれ、なんと監督はアンジェラ役とデキてしまったらしい。

50年代→60年代のイタリア男の好みの変遷を地で行ってしまったわけですね。

そのことを知ったロザリア役は怒って撮影現場から行方をくらまし、よって映画の撮影は大幅に遅れた・・・

というお粗末な話であった。



L'ultimo bacio



yunのブルーミントン日記

これはアラサーだったら絶対に「思う所多い」という内容。

20歳前後のクラスメートの中の反応はイマイチ、何だか見当ハズレな感想を言う者が多かったけど。

確かに私も大学生の時にこれを見せられていたらきっと訳が分からなかっただろう、と思う。


Giovanna Mezzogiorno と、Stefano Accorsi という、これが発表された2000年時に大人気だった俳優達が主演。ちなみにこの二人、この頃実生活でも恋人で同棲していたらしい。


内容としては・・・

GiuliaとCarlo、アラサーの主演カップルは同棲中。お互いの両親を交えての食事会の際、Giuliaが「私、妊娠したの」と発表する。皆に祝福され、幸せモードの食事会だったが、そこから様々な登場人物に心境パニックが起こっていく。


Carloは、出産後の生活を色々夢見て話すGiuliaを見る中で、責任のある立場に立たされる事に恐怖を覚える。 結婚している友人の、「女は妊娠したら最後、鬼と化す」といった言葉にも影響され、ちょっと自分を誘惑してきた高校生に現実逃避をする。


その、結婚している友人は、「子育てに協力しない」と毎日グチグチ文句を言う嫁にウンザリし、独身謳歌中の友人と、「全てを捨ててバックパッカーの旅に出よう」と現実逃避をし、そして実際に嫁と子供を捨てて旅立ってしまう。


Giuliaの母は娘の妊娠を祝福するも、「夫に愛され、子供まで出来た娘に対して、自分は何て不幸なのか」と、老いて行く自分と、自分をもはや賛辞する事のない夫に対して不満を感じ、「浮気をしよう、離婚をしよう」と家を飛び出る。しかし新たに出会う相手はイマイチだし、昔、数年間不倫をしていた相手に会いに行っても彼には既に若い妻とベビーがいる・・・という惨めさ。 結局夫の元に戻っていく。


他にも、イケてない家業を継ぐ事を拒み続け、病気の父親や面倒を見てくれる家族に甘えっぱなしの男とか、ヒッピー崩れで30歳を過ぎても未だ女を取っ替え引っ替えしている男とか・・・

色んなキャラが出てくる。


テーマは多分、

「歳を取ることへの恐れ、未成熟な人間」

といった所だろう。


沢山いるアラサーの登場人物は、「大人の責任」を負いたくない、自由でいたい、ともがいている。

結婚しちゃったらもう人生の華は終わり、子供できちゃったらもう自分の人生の華は終わり・・・

と、日本でも周りにありふれた決まりセリフですね。


一方、Giuliaの母親は、加齢により女としての魅力が無くなっていく自分に焦り、もがいている。

日本人の場合はそもそも女性として賞賛され続ける人間なんてメディアの人間か、えらく西洋化したセンスを持つ旦那がいる一部の人間しかいないと思うが、きっとイタリアの場合は歳をとっても、嫁でも子連れでも「女」として扱われる事も多く、故に異性から賞賛されなくなるというのは相応の焦りを呼ぶのだろう。


もがいている人々は哀れで惨めで、でも何だか可愛らしくて・・・。


とても身近に感じられる事が多い映画だった。


私的に一番心に残ったのが、家族を捨てて世界バックパックの旅に出ていく夫の嫁。

超、超脇役だけど。

笑顔がほとんどない、という位文句を垂れているシーンばかりの女だが、乳児の世話を一人で頑張っている。

夫に不満タラタラだが離婚したいとは思っておらず、どうにかして関係を修復したいと思いつつもうまく振る舞えない、不器用なタイプ。

最後に夫が家を出ていく日の最後のシーンが夕食シーンだったのだが、嫁が用意した夕食はパスタあり、肉あり、ワインありのきちんとしたものだった。


誰かに手間をかけた食事を作るのってきっと愛情がないと出来ない事であり、でも家族に食事を作ったことなぞない夫にはその気持ちは理解されない。

きっと飯なぞ作らず、子供が泣いててもほっぽり出し、でも可愛らしく夫に媚を売れる嫁だったら捨てられなかったのかもしれない。

でもそう出来ない嫁。こういう不器用さって西洋人というよりも日本人っぽいなー、と思って心に残った。


物語の最後は、高校生との浮気を知ったGiuliaが実家に逃げ帰り、Carloがそれを追って謝って仲直り・・・


で終わる。


メインのあらすじというよりも細部がいちいち心にとまる映画であった。




長くなっちゃったので今回はここまでー。