多分1984年ごろを境にして、自由に行き来できる場所が、限られてきたのだと思う。その前は、民族間の緊張はあっても、平和共存で、国中どこでもいけた でも、私が、ジャフナまでいく、といったときは、変わり者扱いされた。南アジアの地域研究という名目で、とにかくスリランカの別の側面も見たかったし、自然に恵まれない北の人々の生活に触れたかった。ともかく、コロンボから、電車に乗って、延々と赴いた。乗客は北へ行くほど、どんどん減る。途中、アヌラダプーラで、数時間途中下車、地元の自称ガイドに、自転車で案内される。このとき貯水、農業かんがい用の 大きな湖のことを タンクと呼ぶことを知り、スリランカでは、水支配こそが政権をにぎる条件であったことを実感した。
ジャフナでは駅のゲストハウスを予約していった。手漕ぎのフェリーで、小さな島に渡ったり、食堂でともかく何か食べることができ、ローカルの人たちとも交流した、はずだが、記憶は遠い。それに そのころ、南インドにも旅行したので、あまりちがいを感じなかった。トリンコマリーや、美しい海岸のカルクダの印象は、より強い。(続く)