本日もブログを見に来て下さり
ありがとうございます(∩ˊᵕˋ∩)


先々月の事、私の義父(母の再婚相手)
が余命宣告を受けていました。


母と再婚する前から胃ガンの手術を受けて
いたり、膀胱ガンになったりと体質的に
ガンになりやすいようで、先々月に
腰が痛くて歩けないという事で
病院で検査した所、脳に腫瘍ができていて
年齢的にも場所的にも手術は無理だと
いう事で、余命3ヶ月と診断されました。


母は義父が具合が悪い時にトイレの介助を
するのが嫌だからと水を飲ませなかったり
痛いと訴える義父を疎ましがり、うちの主人を
呼び出しては世話をさせていました。

こんな時まで何もしない
クソ母です。


書くのも思い出すのも嫌なぐらい
母と色々ありましたが、義父は他の病院に
転院する事となり今は余生をそこで
過ごしています。


そして昨日、義父が体調を崩してから初めて
お見舞いに行ってきました。


本当は行きたくなかった。
私は義父も大嫌いです。
性的虐待もされていた為、義父が
余命宣告を受けた時も悲しくなかったし
どこか他人事の様に感じていました。

ただ、主人が一度はちゃんと会っておけ
というので、会いに行ってきた次第です。



会う直前に主人が
「泣くなよ?」と私に言いました。



泣く訳ないじゃん!嫌いなんだから。



病室に行く前に看護師さんから
状況説明を受けました。

今は鼻からのチューブで栄養を取って
いる事。

呼吸が出来ないので酸素濃度を上げて
酸素吸入している事。


苦しくてチューブを抜いたり
オムツを外すので手を拘束している事。


私は精神科で看護助手を2年間
していたので、見慣れた光景だから
大丈夫と思いつつ、状況が目に浮かび
会うのが怖くなりました。


そしていざ、義父を目の前にした時
涙が溢れて止まらなかった。


あんなに大嫌いだったのに
早く死ねとすら思っていたのに
義父の変わり果てた姿にショックを
隠せませんでした。


それでも胃ガンの手術で胃を半分以上
切除している義父はずっと細身でしたが
今はチューブで栄養を無理矢理
摂っている為、前よりふっくらしていました。



幸いまだ話しが出来るので
「お父さん、私だよ、分かる?」
と言うと

「分かるよ、迷惑かけて悪いな」
と言いました。


テレビも何もなくカーテンを閉め切り
拘束されている義父。


面会は10分しか許されていなかった
のですが、義父はもう寝るから
帰ってくれと私達に言ったので、
5分しかいる事は出来ませんでした。


帰り際、義父が私に

「俺は朝鮮に行っていたんだ。
3日前に帰ってきたばかりなんだよ」

と言ったので、

「そっか、じゃあちょうど良かった
会えて良かったよ。また来るからね」


と言って別れました。


私は涙が止まらず、看護師さん達に
お礼も言えず頭をひたすら下げる事
しか出来ませんでした。

よろしくお願いします。
どうか宜しくお願いします。


そんな気持ちでいっぱいでした。


息はしているけれど、
動く事も景色を見る事も
食べる事も何も出来ず
栄養を無理矢理送られ
毎日壁を見て死を待つ義父。

こんな苦痛な事はないんじゃないか。
こんな事ならすぐに死んだ方が
幸せなんじゃないか。

そんな事すら思いました。
きっと余生を過ごすのにもっと
人間らしく過ごせる所は探せばあるのに
母がとにかくお金がかからない所へ
どうせ死ぬんだから。という考えなので
今の病院になっています。


今回はショックが大きくて
涙が止まらなかったけど、きっと私は
義父が亡くなっても悲しむ事は
ないと思います。


だけど、やっぱり幸せではいて欲しかった
大嫌いでも不幸になってはほしくないよ

せめて死ぬまで、義父が自由に過ごせたら
私の気持ちも違うのかな。それはエゴだよね。


私の子供達に会いたいと言った義父
子供達は面会禁止でお見舞いすら行けません
せめて会わせてあげたかった。


私どうしたら良かったのかな