私は小3か小4くらいからずっと腹痛と下痢に悩まされてきた。日曜日の夕方は必ずトイレにこもってたし、保健室で唸ってることもよくあった。
あまりに痛がるので祖母に救急車を呼ばれたこともある。
高校くらいまでは、のらりくらりとやり過ごして来たが、高3ではついに電車で少しでも腹痛の予感を感じると視界が真っ暗になり意識を失いそうになったり、吐き気を催してトイレに駆け込んでいた。
吐き気を催してトイレにいっても吐くことはなく、結局下していた。
そのせいで遅刻も多かった。
高3は通学するのが限界すれすれだった。
今から思えば、パニック発作だったのかもしれないと思う。
運良く高3は休みも多かったのでやり過ごすことが出来、無事に大学に進学。
一人暮らしで大学まで自転車で5分だったので電車での腹痛の不安からは解放され、快適に過ごしていたが、飲み会のたびに腹痛と下痢に見舞われる事が増えた。そういう時は冷や汗が止まらなくなり、視界が暗くなり、誰にも気づかれないようにトイレにこもるのが辛かった。
それらは、飲酒をだいぶ減らす事で対処してきた。
大学院時代は、教授がパワハラだったため、ストレスでやられ、メンタルを本格的に病んだ。
うつ病の一歩手前で、踏ん張ってきた。
社会人になってからも、体調不良が頻発していた。
この頃は、血の気が引く感じになることが多く、そういう時は体温が低かった。35.4度とか。
そして最後はいつもの感じの腹痛につながり、冷や汗が止まらなくなっていた。
そういう時は夏でも暖かいお茶を飲み、着込みホッカイロを貼りまくり体温を上げた。お風呂に入って寝るに限るのだ。
この発作(かどうかは知らないけど私はそう呼んでいる)は年々ひどくなっていった。
そして、旦那と結婚し、仕事をやめ、東京を離れた。
専業主婦や時には派遣で働いたりしていたが、ストレスがなかったからか、20年苦しんだ腹痛からほぼ解放されたのだ。
もうこれだけで、私は旦那に感謝してもしきれないくらい感謝している。
それでも日本にいる間は、たまに不調になることがあったが格段に減っていた。
が、
実はアメリカ生活では、さらに腹痛に悩まされる事が減ったのだ。
そして、コロナで人間関係を絶った時に、
完全に腹痛から解放され、
それ以降は最低限の人間関係にとどめてアメリカでは快適な生活を送っていた。
実はアメリカでは、様々な身体の不調からは解放されていたのだ。健康そのものだった。
しかし、帰国後、
やはり、いろんな不調が戻ってきた。
そしてなぜ今こんな事を書いているかというと、
昨日から久しぶりにあの腹痛がやってきているのだ。
もちろん、対人関係のストレスもあるだろうが、
今日、確信した。
絶対に気候だ!
昨日、今日は、急に蒸し暑い。
確かに夏に体調を崩すことが多かった。
めちゃくちゃ暑いのにホッカイロ貼ったりしてた。
この高温多湿が私の体調を狂わせていたのだ。
いや、もちろんストレスもある。
合せ技だと思っている。自律神経失調症なんだろうね。おそらく。
でもストレスと気候が最悪なのは、東京だ。
やっぱり、私は東京には住めないのかもしれない。
田舎に引っ越したいわ。涼しい北の方に。
正直、いくら思い返しても、
よく不登校にならずに今までレールに乗ってきたよなぁと思ってます。綱渡りだったと思います。
そして、現代なら、たぶん不登校だったと思います。
何がきっかけかというと、色々とありすぎる。
でも、不登校になってしまう子どもの気持ちもわかる。そしてストレス耐性がどれだけ大事なのかもよくわかっている。
年々、重症化している。
1度、ストレスの限界を超えて、身体に不調が出てしまうと、次はもっと少ないストレスでその不調が出るようになってしまう。
最初の高い壁を超えてしまうと次は簡単に壁を超えてしまうようになるのだ。
だからどうしても、子供が小さい時にストレスの極限を超えさせたくないと考えてしまうのです。
1度でもその壁を超えてしまうと、もうその不調とは一生付き合っていくものなんだろうなと思っています。