帰国して6か月。

あっという間でしたがちょっとひと段落的な感覚でいます。

 

そろそろ働こうかと思わなくもないし、両実家からの働け圧力は結構なものだ。

周りもねみんな働いているよね。誰ともなく働いた方がいいよという圧力を感じます。

そして増え続ける子供たちの習い事。一番お金がかからない時期なのにこんなに習い事させていいのかなwと不安が。

 

昨日、前に登録していた派遣会社を覗いてみたら、さすがは東京。

求人がたくさんありますね。その代り、応募者もたくさんいるんだろうな。

結構、コアな専門なのでそんな仕事ないだろうなと思ったけど、わりとドンピシャな奴あるんですね。ただフル求人が多く、そこまで働く覚悟がまだない。

下の子は幼稚園だし。旦那も多分、まだそんな覚悟ない。

 

いきなりフルで働いたらそのしわ寄せが全部子供に行っちゃいそう。

 

 

ただ、その専門生かしたいかと言われると結構悩ましい。

ここ数年、過去を掘り返していると何でそれを専門にしたのか考えるとね。

そして、その業界にいると自分の理解力が低くて苦しくなるんですよね。

日常生活には全く問題にならない程度の理解力は持っているのですが、そっち系の論文を読んでると本当に頭に入ってこないんですよね。辛く苦しいんですよね。

正直、大学で学んでいるときから苦しかったんです。

でも持ち前の立ち回りのうまさとわからなくても虚勢で乗り越えるテクはあったのでそれで誤魔化してきちゃったんですよね。実力以上に自分を見せるのってつらい。

 

そして、もう40手前で、その業界離れて10年近くたつので、もう虚勢でごまかせるレベルではないので、正直先が見えないし出来るとも思えないんですよね。

 

業界用語とかはそれなりに理解してるんですがね。

 

正直いってこの経験が、子供の日本語教育に躍起になる理由なんですよね。

 

 

前に勝間和代さんのYouTubeで英語より日本語!!って言っているのがあるんですよ。勝間さんは確か外資系の大手有名企業で活躍されてたと思うんですが(ざっくりしか覚えてないw)多くの帰国子女、バイリンガルの方とも仕事されてるんですよね。

そしてバイリンガルの方は日銀短観(漢字あってるかな?)が読めないとか言うんですよ。

 

正直言うと、日銀短観が読めないモノリンガルの日本人もごまんといると思うので、

それだったらバイリンガルのほうがよくね?ってなるし

その会社で働くには、日銀短観が読める日本人か読めなくてもバイリンガルかという事になると思うんですが、

 

私は、幼児期の英語教育のせいなのか、その後の環境のせいなのかは不明ですが

たぶん、日銀短観は読めないと思う。読んだことないけど。論文も苦手だし、読めない文章、理解できない文章は結構ある。

授業とか人の話なんか色んなものの理解度も多分低い。

 

でも、学歴は低いわけではないです。国内なら中の上か上の下くらいです。

見方によっては国内の上位10%に入っているそうです。

なぜなら、がむしゃらに勉強だけを頑張ってきたからです。

色んなものをかなぐり捨てて、効率悪く勉強ばっかしてたんですよね。

スポーツもしてないし、音楽もしないし、趣味もないし、何かに熱中した経験が全くないです。

それに両親ともに学歴主義なので、バリバリ圧力かけられてたので

なんとか出来てますよって虚勢はずっと張っていました。

たぶんそういう人って多分沢山いるよね。私の中高の同級生とかそういう人多い。

(だから中学受験は嫌だなって気持ちになる)

 

たぶん、私の能力的にそんなに頑張らないで、日銀短観(論文)なんて読まなくていい仕事してれば苦しむことなんてなかったんですよね。変に学歴が高いことでそういう分野に行かざるおえなくなってるんですよね。

世間一般的に、ほとんどの仕事は日銀短観読めなくとも何とかなりますもんね。

 

 

ただね、日銀短観が読める人もごまんといるんだよね。

 

 

 

小2で帰国以降、私は確実に日本語の遅れがあったと思います。

日常会話に問題はなかったけど、学習言語に問題はあったと思う。

それがいつ解消されたかは不明だけど、結局、親には想定外に低いレベルだったんだと思う。なぜなら、理解力が低い私に頭を抱える姿は結構記憶に焼き付いている。

 

小2まで日本で過ごした姉と比較してちょっと考えられない的な雰囲気だったのを覚えています。(英語は私のほうが流暢だったからそっちは姉が嫌な思いしたと思う)

本来なら、幼稚園に通っているだけで、絵本読んで、お歌うたってるだけで人並みになれるはずだったのでは?とか

 

小1時点でもっと日本語が読めていたら、もう少し読書した可能性はあるよねとかね。

スタートで出遅れるのって結構、デメリット大きいなと思います。

環境が与えられてなかった点が気になるポイントです。

 

それで英語がぺらぺらならまだ救いようがありますよね。全く使えるレベルの英語ではないっていうのが本当に悲しい限り。

 

同じ学歴でもね、あれしてこれして色んなことしてきた人と勉強しかしてない人がいるんだよね。企業が欲しいのは圧倒的に前者。

 

 

 

 

小さいうちの日本語教育でどこまで深く掘れるかってのが将来の理解度につながるかもしれないと思うと、いくら日本語やっても足りないような気がしてきます。

その理解度さえ高ければ、あとから英語を学んでも追いつけるだろうと思います。

 

あんなに頑張って本読んで、日本語環境作ってきたけどどうなんでしょう。

今のところ、そこまで遅れている感じはしないけど、わかってないな、足りないなと思うところもあります。

 

もし私が日本で子育てしていたら、もっと深く掘れたのかなと思うと残念なような気もするし、

海外に行かなければその事実に気づかない&働いてたと思うのでそんなに読まなかったとも考えられるので、なるべくしてなった結果かなと思ってます。

 

 

でもね、

気のせいですよ

 

 

って言われたらそうかもねと言えます。

もっと根拠のある話がしたいよねと思う。

 

現実の友人にこの話が出来ないのは、実はあまり自信がないから。

もっと根拠が欲しい。

 

 

私が小学生だった時代、帰国子女も今ほど多くなく、しかも2,3年が多かったそうです。

ですが現在は、比較的誰でも海外に行く確率はあり、長期化しているそうです。

そして、おうち英語が流行っているし、海外にいても母語を大事にしましょうなんて言っている人はいない。

将来的に、言語や学力、アイデンティティに悩む人って増えるのではないかなと思っています。

それで成功してイケイケならいいですけどね、敗者はひっそり一人で親にも言えずに悩むのかなと思うとそういうのを助けられる人になる術はないのかなぁと思ったりしています。