オーストラリアに駐在になった父親についていった家族の話。


マサトは、小5から現地校へ。そして現地のハイスクールに進学

姉は日本人学校に通い、早々に日本の高校を受験し帰国

母はそのまま残るものの、この国が嫌いと言い残して夫と息子をおいて帰国

父は駐在が終わってもこの国に残りたいと言っている


そんな家族の話。小説です。

結構リアリティがあるような、ちょっと古いような感じ。


なんでこんなにリアリティがあるのかなと著者の経歴を見ると大学時代にオーストラリアに渡り、日本人と結婚、オーストラリアに住んでいる。

しかし、駐妻ではない。

なんか、リアリティがあるようなないような母親なのはそのため。

駐妻像がうちの母親にかぶるんだよね。ちょうど私が子供の時に海外生活をしていて、母親が駐妻をしてた時代に著者はオーストラリアの大学にきてるんだよね。私はそんな駐妻を想像して渡米しましたが、実際はずいぶん気楽なものでした。時代かな。

でも、マサトの母親は想像してた海外生活とのギャップに耐えられない的な感情を持っているんだけど、同じように感じている駐妻は割とよくいるんだろうなと想像します。たぶん、思ってたのと違ったと思ってる人は多いことでしょう。


そして小5で現地校に行ったマサト。嫌がらせや喧嘩に耐えて馴染んでいくのが結構リアルでした。

そしてそれを親には言わない心情がよくかかれています。子供は親になんてほとんど話さない。子供がどんな苦労をして惨めな思いをして現地校に馴染んで行くのか全く知らないんですよね。なのに大人は簡単に、子供はすぐに現地校に馴染むとか言っちゃうんですよね。実際に小説の中でマサトは英語がまだまだで友達関係に苦労してる中、周囲の日本人の大人や日本人学校に通う姉に英語ペラペラじゃんと言われる描写があるんですが、英語力がない大人たちの英語ペラペラと思う閾値が低すぎてやっぱり子どもの英語力を見誤ってますよね。


やっぱり、親が子供を理解するなんて無理な話なんですよ。

そしてやっと慣れて楽しくなったところに母親から日本語が怪しいから帰国するよと告げられる。

あんなに英語英語と言ってた親、英語ができてすごいと持ち上げる周囲の大人。それが日本語が怪しくなった途端に日本語日本語と言い出す親の理不尽さ。


そもそも渡豪時から、補習校に通わない、遅れが顕在化してから通い出すとか完全に親のミスでしょ。でもその割を食うのは、子供であると言うこと。


母親がマサトと日本語で会話ができなくなるなんて耐えられないと言うシーンがあるのですが、

耐えられないと思うなら、はじめっからもっと情報収集しておくべきです。家では日本語と厳しく言っている割には、色々と甘い。まぁ、小説だからね。


そして、土曜日のクラブチームの大切さも実感します。私も子供も低学年だったのでその問題に直面しませんでしたが、高学年になると大事だなと感じます。現地校で上手くやっていく要ですよね。

なので早めに補習校意外の選択肢を考えておく必要があるんだなと思いました。


そして父もね。なんか浅はかだよねー。

父はハイスクールに残りたいというマサトを応援するんですよね。その子供の気持ちを尊重という点では、良い父親に見えるけど、

今まで子供の教育を全て母親に丸投げしておいて、急にしゃしゃり出て来る感じ。

父親は英語で仕事をしているのでもっと英語ができたらなという思いをかかえています。

英語が多少出来るがゆえに英語教育に熱くなる親にありがちな、ネイティブとの差を埋めるには、現地の学校に行くことで自分の英語より高見を目指せる的な幻想を抱いています。

でもこういうタイプの人に言いたいのは、

その安定した強いメンタルと高い学力は、一言語という安定した環境から得られた事に気づいてない点です。

この英語かぶれの父親がマサトとオーストラリアに残り、ちゃんと日本語教育するとも思えず、英語教育を助けてあげられるとも思えず、無責任さ爆発だなと思います。

正直、ネイティブと英語で肩を並べるなんて目標は立てたらダメ。あくまで第二言語としてどこまで行けるかって考えたほうが気が楽だよね。


現地のハイスクールに通う事を選択したマサト。中途半端な日本語、まだまだ追いつけていない英語。今後どういう人生を歩んでいくのでしょう。