外国なのに、本当にのびのび暮らせたなぁと思っています。

 

なんとなく、外国にいると窮屈さ感じません?

別に、アメリカ社会にぐいぐい英語で馴染めるんなら全然いいんですけどね。

 

そうなる過程で、英語と文化を習得する過程で、馴染めてない窮屈さとかもあるし

 

外で日本語を使うだけで実はちょっと窮屈さを感じます。

外で2人くらいでちょこちょこ日本語でお茶するくらいならいいけど、

4人とかで食事するのはちょっと周りの目が気なってしまう。

 

でも、4人くらいなら気になるけど、まぁいいかと思う。

でも10人とかになってくるとやっちゃいけない感があります。

 

うるさいからさ。見知らぬ言語でぺちゃくちゃしゃべられるのって、現地の人からしたら、耳慣れない音で何しゃべってるかわからないから嫌かなぁと思ってしまいます。

 

気にしすぎなのかな??

 

だからこそ、アジア系料理店って安心するよね。

英語じゃなくてもいいでしょーって気持ちになるから、日本人で大勢で会うときは

中華料理店か韓国料理にもっていったりします。あとは家が気楽だよね。

アメリカ人はお店で大勢であったりしないともいうし。

結局、美味しいのもアジア料理だし。

 

 

それと同じで、日本人コミュニティにいると堂々と日本語で話せる。

日本語を話すことに罪悪感を感じる必要がない。

 

これ、多分、子供の頃も感じたことだったと思うんですよね。

子どもでも感じるんですよ。

自分がマイノリティで社会の言語を話せていないという、社会に馴染めていない感じ。

だからこそ、子供は、現地校で必死に英語を覚えてくるんだけど、

 

 

そんなにはすぐに話せるようにならないし、家庭での文化が全く違うから

しばらくはかかるよね。

 

もうこれは、現地校に通うなら本当に仕方ないことだし、英語をネイティブレベルで話そうとするならば絶対に通る道で仕方ないと言えば仕方ないんだけど、

 

3歳で通過するのと6歳で通過するのだとエライ違いだなと子供を見ていて思います。

 

 

6歳になるとやっぱり、自分でどうすべきかちゃんと考えているよね。

どうすれば馴染めるか試行錯誤している感じがします。

 

あとバイリンガル園は、先生が日本人とアメリカ人なので日本語を堂々と話せる環境が自信につながっている気がしています。

その自信をばねに今がんばっているのかなと思います。

 

同じ人間じゃないので、単純に比較してはいけないけど、

私の自信なさげでどこにも行きたくない、やる気のない、挑戦なんてしたくない、すべてを投げ出していた感じと比べると、やる気に満ち溢れ(日本語なら)なんでも挑戦し。色んなことをやり、友達と気兼ねなく付き合っている姿を見ていると、本当にのびのびしているなと思うので、

英語はそこそこで、アメリカ社会に入った感覚はあまりないけど、これでよかったなと思っています。

 

 

そりゃ、いくら日本人コミュニティだからって言っても本当の意味で気兼ねなくってわけにはいかないし、大きくなって日本人学校に通っているとアメリカ社会に馴染めない虚無感の様なものを感じるそうですが、

3-6歳くらいだとその微妙な感じは薄々くらいしか感じていないかなと思います。

 

中と半端にアメリカと日本社会を行き来するより、どっぷり浸ることを選んだのも、余計なことを考えなくていいので楽でよかったなと思います。

 

別にアメリカに住んだからと言って、無理にアメリカ社会に溶け込もうとしなくてもいいんだと思いました。

だって、移民でも永住でもない、VISAホルダーの短期滞在者なんだから。