お供え花は私がするだろうと恒例になりつつある
あの夏も暑かったと思う
天神さんの頃は暑さもピークです
天神さん行っといで~か細く言った言葉が今も残る
でも暑さを忘れるほど必死だったような気がする
お医者さまの余命宣告は見事に3カ月当たってた
義父のときもそぉだった・・・
だからお医者さまの言う余命宣告は絶対だと思い込んでました。
でも違うんですね~3割強とか5割までだそうな
何度も危篤の知らせを受けては病院に駆けつけ
翌日には持ち直し話せるようになる
夕べはベッドの端にお爺さんが迎えに来てたとか~
そんな話も笑いながらできる時もあったのに・・・・
息子達を呼び寄せたかったのに・・・
義弟は今の姿を見せたくないと頑なに許可しない
負けてたまるか~っと人生やり直したいと
生きる気力だけは凄まじかった
それは離婚裁判中だったから
嫁は病気であること自体知らなかった
知らせれば離婚できなくなるからだ
義弟は親の建ててくれた家を
浪費家の嫁に掘り出され~
商売をしながら店で寝泊まり
お金お金と言い続けられ苦しんだ
友達は多く沢山の人が義弟を忍んでくれた
心優しい無口な職人気質の人だった
思ってることを中々口にしない
だから誤解が生じる
よーく考えて考えて相手の事を先に考える人だった
ところどこででボソっとオモロイ事を言う
そんな義弟も亡くなって丸9年
今はあの世で父と一緒にいるそうだ(イタコさん説)
私にありがとうありがとう・・・・ばかり言ってくれた
義父と義弟には義母を見守ってくれることをいつもお願いしているけど
私は何もしてあげれなかったのに・・・・
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー