倉敷の美観地区。大原美術館で、1年に2回、素晴らしい演奏家のコンサートがあり、私はいつもそれが楽しみでした。


もう10年ほど前ですが、そのコンサートに父を誘って聴きに行き、その夜は、美観地区内の旅館で過ごしました。翌日は、美観地区内を周ろうと、足が弱っている父と一緒に、人力車で案内してもらいました。めちゃ恥ずかしかった〜💦

外国人観光客がパシャパシャ写メ撮るし!


人力車の案内人の方はすごいですね!歴史が全て頭に入っていて、要所要所で止まって、写メも撮ってくれる。コースを走りながら、色んな話が聴けて、行き慣れた美観地区にまるで、私も観光で来ているかのように思いました。


この2日間が、父と過ごした最後になりました。

私のために、弱った足で、鹿児島からやって来てくれて、本当に嬉しかった♡


バーナムピアノテクニックの勉強会で、お隣の兵庫県へ行きました。そこでのレッスン前の話の時のことです。


クラスの方が、ご自分の学生時代の先生のパーティーがあって参加されたとのこと。

O先生は、90歳を超える方ですが、お写真を拝見する限り、大変お若くて、驚きました。そのO先生が、お若い頃のお写真を見せて頂いたり、エピソードを聞かせて下さったり…

お話を伺っていると、昔、ヴァイオリニストの辻久子さんと、一緒に演奏で各地を廻られておられたとのことでした。


辻久子さん。父が、独身の頃、結核を患い、身寄りもなく、指宿の療養所にいた時に、慰問で演奏にいらしたそうです。


その時のベートーヴェンが忘れられない。

自暴自棄になっていた僕に生きる力をくれたんだ。


と、何度も話を聞いていたので、驚きました。

もし、その時に同行されていたピアニストがO先生だったとしたら、すごい繋がりですね!と、感動しきり。可能性としては、あるかも!そうでなくても、何か接点を感じて、熱くなるものがありました。


新幹線のない時代、本土の最南端まで、慰問に来てくださったおかげで、今、私がいるようなもの!


もう死んでもいいと思っていた父の心を救ってくれた辻久子さん。やっぱり音楽って素晴らしい!

父はそこから、クラシック音楽にのめり込み、母と結婚を機に、楽器店を営むようになったんです♫


私が生まれて、ピアノを弾きだすと、毎晩のように、何か演奏してくれ〜と、ピアノの部屋に入って来ました。(小学生の私は、そんなにレパートリーなかったから困って、父が帰宅する前に、レッスンの曲より、今日、何言われるか!と色んな曲を漁って弾いていました笑)



父が亡くなった日の空。真夏の晴れ渡る日。


音楽は大事だ。コンサートをやりなさい。

シンプルなものが、一番大事なんだよ。

口癖のように言っていたし、自分でも、良いと思った演奏家のコンサートを企画したりしていました。


父の元へと、帰る支度をしていると、「お父さんが好きな作曲家のCDをかけましょう」と葬儀社の方が言っていると郷の兄から電話がありました。

 

「好きな演奏家は、誰だ?お前、知っているか?」

丁度その時、学生時代の先輩で、今は、住職をされている方とメッセージのやり取りの最中でした。

それで、その話をすると


「由美さん、何言ってるの!お父さんが一番のファンは、貴女でしょう?あなたのCDをかけなきゃ!」

もう、大号泣😭 気づいてない私😭って馬鹿!



通夜から葬儀までずっと私のCDを流し、手紙と一緒に天国へも持って行ってもらいました✨✨


大好きな父でした💖

音楽の大切さを、熱く語ってくれた日々は、かけがえのないもの✨✨


故に、辻久子さんは、私の中でも、特別な方なのです。