「先生、この子は、音大に行ったとして、その先はどうなるのでしょうか?」
今から20年ほど前に、よく弾ける生徒さんのお母さんから、受けた質問です。
どう答えたか、はたまた、答えずにいたのか、全然覚えていない。
でも、その問いは、今も、何かの折に、ふっと頭に過ります。難しい質問だし、そもそもお母さんも、その答えを、私に求めるというより、自分自身に問うているように感じました。
その子は、本当に譜読みが早く、頭も良く、活発で、ピアノが大好きな子でした。
結局、某難関大学の教育学部へ進学します。大学院まで出た後、実家近くに住み、フリーランスとして、ピアノを弾く仕事をしています。
当初は、名前を知ってもらうのに大変でしたが、今では、実力を認められて少しずつ、お仕事が頂けるようになって来ました。
将来、何になるか?どうなるのか…なのかしら?
将来、何になって、何をするのか?なら、幾通りもの答えがあるように思います。
実際、音楽で食べていくのは、本当に大変。
だけれど、どんな仕事においても、頼まれたことをするだけでは、何も生まれない気がする。
自分で作り出すこと。仕事を自ら作り、仕事を通して、誰とどんな繋がりを持ちたいのか?
ピアノだけ弾いていては、人とも触れ合えないし、
社会的なルールも分からないまま、学生の延長になってしまう。
何も知らなかった私も、
初めて自主リサイタルの時には、
チラシ、ポスターのデザイン、チケット販売、宣伝、メディアの取材、練習、ドレス選び、レッスンetc.
こんなにも1人でこなしていかなくてはならず、練習時間なんてほとんど取れずに過ごしてた。ピアノ以外、全部アカン!苦手!人と接するのも、デザインも!
ピアノ聴いてもらいたいだけなのに、本末転倒だ〜と 孤独の渦の中にいました。これで、本番が納得いかないもなになってしまえば、何やってるんだか、さっぱり分からない!
葛藤だらけ日々を何年過ごしたことでしょう。
数年経つと、少しずつファンが増えていきました。1人、また1人。。
また、ピアノを弾いている中から、新たな出会いを頂きました。
その中には、音楽畑でない人もいる。
ここで、大切なことは、ピアニストとしての自分よりも、人としての自分。
学生時代に、結構弾けていると自負していた私は、この頃、かなり、いや本当に、何度も何度も鼻をへし折られました。
銀行へ行く(聞いても話が分からない)
コンサートの仕事が来る(相手に話が通じない)
世間話(全く知らないことだらけ)
この人、何にも知らないのね!とあからさまに表情に出てる💦
兄にさえ「これだから音楽だけやってる奴は」と呆れられる始末。
……そんなことがうじゃうじゃ。
音に対するご近所とのトラブルもありました。
すっかり自信をなくした私は、得意だったピアノが、どんどん弾けなくなっていきました。
イメージが湧かなくなった。
そんな時に、このお母さんの質問でした。
心の中では、全くの同感。
こんなにしんどくて、馬鹿にされるなら、やめといた方がいい。どんなに頑張っても、それを活かされる場所に行けるのは、ほんの一握りの人だけ…(また後ろ向きな私がいる😅)
しかし!
こういった質問は、一生、考えていくんだな〜
そして、私は、自分の潜在意識の中で、この質問に対しての答えを出すべく、動き出すことになるのでした。それは、
「音楽で食べていけることを証明していくこと」
別にあのお母さんは、「音楽で食べていけるのか?」とは聞いてないけれど、私には、自分を活かすことと、生かすこと、「生活」は、イコールでした。
必然的に、聴いて下さる方へ、どのような音楽を、どのような方へ届けたいのか、自分の力は、何処で発揮されていくのか、それを求めている人にどうやったら出会えるのか、他に自分と同じように音楽を発信していきたいと思っている人がいないのか、こんな人を、こんなピアノを待っていたと言ってくれる人は何処にいるのか、と、思うようになっていきました。
そこから、先ず「ピアニスト 鳥越由美」の名刺を初めて、作った。(遅い!笑)
「音楽やってどうなる?」
「音大行ってどうなる?」
レスナーの皆さん、聞かれたらどう答えますか?
私は、自分が音楽でやることははっきりしたけれど、生徒に聞かれたら、どう答えるかなぁ。。。

