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ゲンコツやビンタを「体罰」と
言うのなら、学生時代は数え切れない
くらい喰らっている。
その「体罰」は私にとって特別な
事ではなく、身近であり日常茶飯事で
あった。
私語を何度も注意されても
やめなければゲンコツ。
忘れ物をしたらゲンコツ。
授業中騒いだらゲンコツ。
掃除をサボればゲンコツ。
授業を抜け出したらビンタ。
など、日々の中でその量刑によって
適宜、使い分けられていた。
(なかには「これでビンタ!?」と
思う事もあったが)
一番簡単で手軽なペナルティは
「暴力」だと思う。
説明不要で効果抜群。
痛い思いは記憶となり、同じ過ちを
行わせる事を防ぐ。
痛みや恐怖は動物には効果的だ。
人間も然り。
私はゲンコツやビンタはしてもいいと
思っているが、それは私らの時代の
ような背景があればの事だ。
今は時代が違う。
親にゲンコツもされたことがない
子供にいきなりビンタではトラウマに
なるだろう。
そして更に問題は殴る側のスキルにある。
殴られたりした事のない奴は加減が
わからない。
だから唇が切れるほど力が入ったり、
鼓膜を破るような事になったりするのだ。
殴られた事のない奴は『殴った感』を
得るために力一杯、殴る事が多い。
フルパワーのド素人パンチ。
考えただけで危険極まりない。
慣れない事はしない方がいいのだ。
私らの時代は殴られても
「まぁ自分が悪いからしょうがない」
と一部納得していたから問題はなかった。
後から思いかえして
『アレはアレで必要だった』
と思えるのは納得できる理由が
あったからだ。
今の時代に“納得”や“理解”が
あるのだろうか?
無ければ殴っても、言葉で言っても
結果は同じ。
効果は無い。
それがわからない奴は、体罰なんか
してはいけない。
体罰は読み方が違うだけで、暴力と
同じものなんだから。