1日10時間は寝たい、どうもユミです。


睡眠時間3時間とかで動ける人はサ○ヤ人だと思ってる。














私も大概のネット依存ですから、ネット上を彷徨い歩く中で炎上などを目にすることがしばしあります。


先日もネットサーフィンしていたらとある炎上案件に遭遇しまして炎上の中心人物になっている方がまあ見事に燃え盛っていたんですよね。


ネットとは一つの事柄について調べだすと良くも悪くも多くの意見が見聞きできるものですから(SNSは特に)、その方をバッシングしている人たちの意見もすこし読ませてもらったのですが。


そこでふと思ったのが、


批判と中傷の境目ってどこなんだろう


ということです。


ここでまず、「批判」と「中傷」の定義をしときましょう。


批判

・物事を検討し、判定・評価をすること
・人の言動・仕事の誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること
goo国語辞書

・物事の可否に検討を加え、評価・判定すること
・誤っている点やよくない点を指摘し、あげつらうこと
Weblio辞書



中傷

・根拠のないことを言いふらして、他人の名誉を傷つけること
goo国語辞書

・根拠のない悪口を言い、他人の名誉を傷つけること
Weblio辞書  


この二つの言葉の意味を見比べたときに、


批判=物事に対して

中傷=人の名誉に対して


という点がかなり違うのではないかと思いました。


そう考えるとこの二つの言葉の境目って結構はっきりしているように感じるのですが、


なぜかネット界隈をふらついていると、この境目が途端にぼやけてくるように思います。


明らかな中傷にも関わらず「まっとうな意見だ」と支持されたり、

的確な批判でも「中傷だ!」と騒ぎ立てられたり。


それってなんでだろうなーと思ったので考察してみました。



①文字だけのやりとりなので意図が伝わりづらい


第一にこの理由が大きいと考えます。


コミュニケーションの柱は言語ですが、人間は意識せずとも言語以外の部分からも相手の感情を読み取っています。


表情やしぐさ、視線の一つでさえも、自分の感情を表すのです。
目は口ほどにものをいうとはよく言ったものです


しかしながらネット上でのやりとりはそのほとんどが文字です。
今は動画もあるけど、文字のコミュニケーションもまだまだあると思う


そうなると、文字だけでは伝わりにくい微妙なニュアンスなんかは、自分の意図したとおりに相手に伝えるのが難しくなります。


コミュニケーションてね、やっぱり顔を突き合わせてしないとわからないことも多いと思うのです。


そりゃね、ブログの文章とか読めば「ああ、この人はこういう人なのかなー」とか、想像はつくやもしれませんが。


それでもやっぱり、ちゃんと顔を見て目を合わせる「生の」コミュニケーションにはかなわないなーと思うことが実際結構あるのです。


だってぶっちゃけるとブログなんてみんなカッコつけてカッコいいこと言うでしょ。
え?言わない?( ̄▽ ̄;)


私はこんなところがダメなんだよねーと言いつつも、本当にダメって思ってる部分をブログに出してる人ってどれだけいるのかな。
少なくとも私は出せてないと思う


現実よりもね、「理想の自分」を体現するのが簡単なんですよ、ネットって。


そんな「理想の自分」の仮面をかぶった人たちが跋扈するネットの中で、文字だけからその人の真意を正確に知ろうなんてのはめちゃくちゃ難しいことだと思うのです。





②する側・される側の関係性が曖昧


ネットが最も人間に影響を与えた部分って、「誰とでも繋がることができる」ことだと思ってます。


ネットさえつながっていれば、地球の裏側にいる人と友達になることも、一国民が大統領や総理大臣に発言することも、可能になるのです。


一方で、そうしてつながった人との関係ってなんて呼ぶんでしょう。大体知人とか、友人になるのでしょうか。


わからないけど、とりあえずボヤッとはしてるよね。笑


ボヤッとしてても別にいいんだけど(実際友達みたいなものだと思うし)、そういう関係性で批判するのって難しいと思うんですよ。


その人の今までたどってきた人生

どんなことを思って何をしてきたか

何を是として何を非とするのか


そういう人生の背景みたいなのって誰でもあるもんだと思うんですが、ネットだとそれが見えないことが多いと思うんですよね。
なので私は初めて訪れるサイトやブログではまず管理人さんのプロフィールを読みます


同じ言葉でも、立場が違えばその言葉の持つ意味とか力とかって異なってくると思うんですよ。


例えば自分が離婚を考えてたとして、結婚して幸せに暮らしてる人に「離婚はやめといたほうがいいよ」って言われるよりバツイチの人に言われたほうが思いとどまる気がする。


そういう、立ち位置すらわからない人からの言葉って、どう受け取っていいかわからない場合もあるんじゃないかなぁ。


だからこそ、強い言葉を向けられるとと「中傷された!」ってなりがちだし、


良く読めば批判ではなく人格否定だとわかるのに、無駄に受け止めて傷ついてしまったり。


そういう、投げたものと受け取るものが違ってしまうことで認知のすれ違いが起こるのかなと推測します。






自分にとって傷ついた!と感じたり嫌な思いをする他人の発言は、耳をふさぎたくなるものです。


それらの言葉すべてを受け入れる必要はないと思っています。


ただ、それらの中にも「耳は痛いけど、たしかにそうかもしれないな」と感じる言葉があったら、ちょっと立ち止まって考えてみるのもいいかもしれませんね。

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