おはようございますカエル




先日、父が亡くなったと書きましたが、
その最期の迎え方に
私は納得がいかない部分があるので、
その事について書こうと思います。




私は病気に関して詳しいわけでもないし、
直接父の様子を見たわけでもないし、
医者から説明を受けたわけでもありません。




母や兄から聞いて
思ったことです。








父はずっと
「できるだけ苦しみたくない」
と言っていました。



母もそれを理解した上で、
病院にもそう何度も伝えていたそうです。




亡くなる2~3週間前、



父は苦しくて、どうしようもなくて、
母や看護師さんに「この人殺し!」等の
暴言を吐き、

時には掴みかかったりも
していたそうです。





そして、

「こんなのつけてるから
こんなに苦しいんだ!!」

と、命を繋いでいる酸素マスクを
何度も自分でとっては

「とらないで下さい!

と、つけ直されていたそうです。




酸素マスクをとったら
すぐにでも死んでしまう状態なのに

何度も何度もとろうとする。





最終的に手を縛ったそうです。



“酸素マスクをつけてるから
苦しいながらも生きている”

“これをとれば死ねる”


と思っていたんだろうと思います。





そして、

苦しくて暴れまくっていた時に
病院から母に話があったそうです。




“安定剤を打ってもいいか?”


というもの。

母は安定剤と言っていたが
多分鎮静剤のこと。




それを打ったら、
苦しむことはもうなくて、

うとうと眠ることができるが、


それを打つことで
今の呼吸状態では
亡くなってしまう可能性もある

と言う風に説明を受けたそう。




母は、

鎮静剤を打つと
苦しみが楽になって、

すっと眠るように
死ぬことができる
(=打つことで死に繋がる)

と言うような解釈をしていたので、
そのような説明だったかもしれません。





父は苦しみたくない
と常々言っていたので、

「打って下さい」


と母は言ったけど、



結局それを打つことはなく、

父は最期の最期まで
ずっと苦しいまま亡くなりました。





私が簡単に鎮静剤について
調べたら、

“余命1週間ほどの終末期がん患者の
耐え難い苦痛を感じないようにして、
うとうと眠ることができ、
そのまま最期を迎える”


というようなもので、

鎮静剤を打つことで、
余命を縮めるわけではなく、

死の間際の苦しみを
感じなくなる
というようなものだそうです。




致死量の薬物を投与する安楽死とは違うもの。




あくまで、
苦痛を和らげるものだそう。








なぜそれを
打ってくれなかったのか、

そこがわからない。




病院側から
「打ってもいいか?」
と話をしていたのにも関わらず。



母は
「打って下さい」
と言っていたのにも関わらず。




父が嫌いで、
一歩引いて物事を見る兄でさえも、

苦しいともがく父を見て
涙が出たと言っていました。




母と兄は
口を揃えて

「あんなに苦しいのなら
ガンにだけはなりたくない」

と言っていました。




どうして
そこまで苦しまないといけなかったのか?




苦しまないで済む方法が
あったのに。



鎮静剤を打ったことで
亡くなっていたとしても、

耐えられないほどの苦痛を
最期まで感じて過ごすより、

希望もなく、ただ苦しいまま
死を待つより、

よっぽど良かったんじゃないだろうか。




何かの罰なのか?



病院で暴れまわる父を
苦しめるために
そうしたのか?













考えてもわからないことではあるけど。









病気で亡くなるのは、
ガンに限らず、

痛みや苦痛が
少なからずあるものではある。




でも父は十分苦しんだし
最期くらいは

気持ち良く…って言ったら
言い方おかしいけど…

少しでも苦痛なく
逝って欲しかった。





母も
「なんで打ってくれなかったのか
不思議で仕方ない」
と言っています。




近くにいた母がわからないんだから
私はもっとわからない。





病院の方針なのか、

主治医の考えなのか。






何にせよ、

父は本当に本当によく頑張った。




父には

お疲れ様。ゆっくり休んで。

って言いたい。






ゆんみ