雨上がり、緑の映える日に「正午の茶事」へ行ってきました。
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茶事というのはお食事やお酒もついた、いわば「正式なお茶会」になることは先日「濃茶と薄茶の違い」シリーズに書いた通りです。
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お茶の稽古を始め、薄茶、濃茶、炭手前と水屋の仕事になんとなく慣れてきたあたりから、この「茶事」という別世界に入ります。

普段の稽古というのはあくまで茶事の部分部分を「割稽古」してるだけであり、通しでやってみることでお茶の全体の姿が見えるということなのです。

私の場合は稽古を始めて一年ちょっと経ったあたりで、当時習ってた先生が「入門・小習」の許状のお祝いにとご自宅に招いてくださったのが初めての茶事でした(稽古は当時カルチャーでした)。

もちろん何にもわかりませんから全て言われるがままで、客方の「あんこ」の一人でした。

「あんこ」というのは、お正客やお詰(末客)という「皮」?に挟まれたあんこということです😅 あんこの方が美味しいのにね!😆

あんこは何もお役がない新人の若い子ばかりで、真剣な面持ちの亭主方などのおばさま方の中、キャッキャしながらそう緊張感もなく楽しく過ごしたことを覚えています。

私がそれ以来三十年近く稽古を続けられるくらいお茶を面白いと思ったきっかけはこの茶事だったかもしれません。

というのも私は極度に不器用で物覚えも悪く、先生から叱られるどころか「根気強く続けていればいつか絶対に皆に追いつけるようになるから、まずは5年は辛抱してみなさい」と慰められるほどで、招かれた頃というのはちょうど濃茶の稽古を始めて薄茶とごっちゃになり、また風炉と炉という、お茶の二つのシーズンの狭間で迷子になってしまって本当に困っていた時期だったので、このお茶事がなかったら、もしかしたら諦めてやめていたかもしれないくらいだったのです。 

先生からの励ましを信じて続けた結果、そのもう一年後くらいに勉強した正午の茶事の時には「半東」というお役をいただきました。

亭主のことを「東(とう)」というのですが(なんでそう呼ぶんだろう??考えたことなかった!)、そのアシスタントで「半東」なのです。文字通りご亭主のお手伝いをします。

その時は八月、暑い時期で汗だく、しかも私は前々日から親不知が痛み出して顔の半分が腫れた状態だったのを覚えてます😅

痛み止めの強い薬を服用していたので全てがボンヤリしていましたが、その時は水屋に入っていたわけですから前回の客方とは違い全てが新鮮で、また楽しく思ったものでした。

不思議なことに、その頃ちょうど稽古を始めて三年前後でしたが、同時に習い始めた子たちはほとんどやめていました。

通っていたカルチャーが開業したとき、みんな揃って一から稽古をスタートしたのですが、バブル期だったせいかいつもキャンセル待ちが出るくらい人気で入れ替わりが激しかったんですね。

私より覚えが早く手もきれいな子がどんどんやめて行ってしまうのを不思議な気持ちで見ていました。

考えようによっては、不器用で人より劣るからこそやめずに続けてこられたのかなぁと思います。正直言って今でも自分に納得できないところがたくさんあり、それで稽古を続けてるのかもしれません。  

また、入れ替わりが激しいことで、この時期、次々に入ってくる新しい子に先輩として自分が学んだ事を先生の代わりに教えてあげる機会があったのも良かったのでしょう。

教えようと思うと無責任な事を言えませんからダブルチェックしますし真面目にやるようになりますものね。

そんなわけで、先生の手を煩わせていた若輩の私が半東をし、またしばらく経って五年目の時には亭主をさせていただきました。

その時はいつも稽古しているカルチャーの茶室でも先生のご自宅でもなく、都内屈指の本格茶室で、ご指導下さったのはいまは亡き塩月弥栄子先生でした。

例によってあまり緊張感なく臨んだ私に比べ、周りの先生や助手の方たちのピリピリした感じが忘れられません。

私も、電熱だけでお稽古していた日常と違い初めて本当の炭手前で湯を沸かしたり、中立(休憩)の間に床に花を入れるなど、初めてづくしでとても新鮮でした。

花を入れる時、ぼけーーっと先生がつもった花を受け取り「えっ??私が入れるんですか?」と言って先生を呆れされたのも今となっては楽しい思い出😅

濃茶を5人分練ったのももちろん初めてで、よく練れてるねと褒めていただき有頂天になった浮力でココまで続けているのかしら?とも思います。

若かった当時の感覚としては、5年というのはものすごく長い期間という思いがあり、カルチャーということで周りも若い子ばかりだったこともあるのか「5年も稽古してる」という思いがあったのですが、この時、「これはどうやらものすごく先の長い世界に足を突っ込んだみたいだな、しかもまだその端緒にいるらしい」と気づきました。

折しも先生がおっしゃった「五年」を迎え、気づけば教室では一番の古株に!

稽古の内容も四ケ伝に入り、それまで教わってきたことと逆のことを言われるようになり(右、左と習ってきたものが左、右と扱うようになど)、やればやるほどわからなくなる茶道の蟻地獄への始まりでした😅

さて、その後はそれまでお世話になっていた年配の先生がカルチャーを引き、引き続きお若い先生にお世話になったのですが、この先生はお仕事をなさっていたこともありお茶事の稽古はあまり見ていただけませんでした。

わたしも趣味が増えたりして、お茶は好きなことの一つ、という程度の存在となり、週に一回お稽古に通うだけの日々となりました。

しかし、その後お茶名を頂き、先生の助手としてカルチャーに出向き、家元講習会に行ったりするようになると、同じくらいの茶歴で深く勉強なさってる方がたくさんいることに気づくようになります。

これはまだまだ学ぶべきことがあるぞと、まずは茶事に慣れなくてはと思い、三ヶ月に一度程度、普段の稽古とは別に今の茶事の稽古に行くようになってかれこれ十年ほどになります。

ちなみにその間に懐石料理の方も勉強を始めたのですが、こちらは半分食べに行ってるようなもので、五年ほど経ちますが自分で作るレベルにはなれずにおります。でも続けてることが大切なのかなと思います(言い訳?😅)。

「正午の茶事」は読んで字のごとくお昼の頃、四時間くらいで懐石、初炭、中立、濃茶、後炭、薄茶と頂く、一番基本的な茶事になります。

きょうは期の切替時期だったので新入会の方がいらして、複雑な順番に戸惑いながらも新鮮なお気持ちで臨んでらっしゃる様子が見てとれました。

私は「中正客」という、いいお勉強をさせていただきながらも本当の正客ではないから気は楽、という美味しいポジションで、定評のある懐石に舌鼓を打ちながら侘茶にふさわしいお道具を堪能し、ご指導の先生や先輩方のお話に耳を傾け楽しく過ごしました。

それから、きょう一番良かったのは「バッチョ」とも呼ばれる露地笠の扱いの勉強が出来たことです。
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私はかなりの晴れ女で、なかなかこの雨の日用の笠を使う機会がないのです。十年ここに通って今日で二度目、しかも実際にはもう雨が上がっていたため、稽古として扱いを勉強させてもらうだけというありがたい機会でした。
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まじまじ拝見しますと、竹の骨組に竹の皮で出来てるんですね。時代劇などで見る笠に比べるとかなり大きいので、女性が片手で持つと案外重いです。

自分で持つ時はひも状になった輪の部分に手を入れて下から支えればいいのですが、前の方が蹲を使ってる間は代わりに持ってさしかけてあげないといけないので、お年を召した方にはややお辛いようで、途中で耐えきれず落とした方も😅
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[雑誌・淡交より]

本当の雨だとそんなことになったら着物が濡れてしまって大変ですけれども、きょうは練習でしたから大したことにならず、気持ち的にも余裕があって楽しかったです。

このように、きょうのエントリではなんども「楽しかった」と書いていますが、なんだかんだ言って楽しく思えてるところがお茶を続けてる一番の動機なのかなと思っています。

稽古を始めたころは人に比べてドンくさく、どこまで続くだろうかと思ったものですが、出来る人が次のステージに行くこともなくどんどんやめて行ったことを考えると、鈍臭さも一つの才能なのかなとも思えます。

もしかして大した能力がなくてもただ続けてるだけでなんとなく楽しめるのが和の稽古ごとのよさなのかもしれないなと。

もちろん極めようと思ったらただ続けるだけで十分とは言えませんが、お茶の場合はその人その人の取り組み方次第でいかようにも楽しめるのではないかと思います。

何しろお茶の醍醐味は茶事にあることだけは確かですから、いずれは稽古茶事でなく自分でやれたらなぁという野望を抱いています。

その時は私らしく流派にはこだわらず、また未経験者や初心の人も交えた、いつものようにちょっと気楽な楽しい会にしたいなぁなんて夢も。

お茶が私の人生を豊かにしてくれてることに感謝しながら、痺れた足を引きずって帰途に着きました。

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