ティヴォリに来る本当の意味は、もしかしたらハドリアヌス帝の別荘跡(Villa Adriana)を訪れることかもしれない。
この度の旅行を決めるに当たって、

なんやねんそれ、と初めはあまり興味の無かった私でしたが、調べてみるとアドリアーノとは・・・・・、
ご存じ、『テルマエ・ロマエ』に幾度も登場し、歴史的にも重要人物である、ハドリアヌス帝のことではないか~~~



似てる??( ´艸`)
二つ返事でOKし、今回の旅行催行となったわけです


ハドリアヌス帝は巡察旅行によく出かけていて、ほとんどローマに居なかったらしい。
旅行先で魅了された建物や風景を模倣したものを建設させたといわれている。
敷地内の建物の数は30以上(しかも、一つ一つがデカい!)、敷地の面積は1.2㎢。
別荘というより、もはや小さな町のよう。
ハドリアヌス帝みずからが設計し、3000人ほどが住んで(滞在して)いたと言われている。

ヴィッラ・アドリアーナの入り口で、『テルマエ・ロマエ』( ´艸`)。
この為に持参した漫画。自分でも、計画的すぎやろ、と失笑。(;´▽`A``


世界遺産ですよ~。



ポイキレ(Pecile)。昼食後に皇帝がこの辺りを散歩をした。


男色家


もともと、こんな感じだったんだって。



アンティノウス少年の死を深く悼んだハドリアヌス帝は、別荘敷地内にナイル川の模倣を建設します。(ちなみに、『テルマエ・ロマエ』に出てくるようなバナナ園はなかったです(笑))
カノープス(Canopo)

上の写真の一番奥はこうなってます。
セラピス神殿(Serapeo)



↓左に並ぶのが女神を象った柱・カリアティード。完成当時は運河の周囲を部屋が取り囲んでいて、カリアティードが屋根を支えていました。



ワニもちゃんといます。( ´艸`)
こちらも必見。「海の劇場」~Teatro Marittimo。という円形の、ハドリアヌス帝の私的な隠れ家。

上の写真を部分拡大します~・・・
これが↓左部分

真ん中部分↓

右部分↓

真ん中部分にある住居に行くには、唯一の通路であった旋回橋を渡り、また、水遊びがしたい時はその橋を上げていたといわれています。
敷地内には、テルメ(浴場)がいくつもありました。これはそのうちの一つ。
Le Grandi Terme(大浴場)

ここは女性用浴場(Terme delle Donne)。

他にも、小浴場とか、ナントカ浴場(名前忘れた


↑崩れてるけど、ドーム型の屋根も。
マンションみたいだよね・・・。

あんな高い所に、あの大きさのドーム型屋根(当然ながらカーブ)をコンクリート素材で。
西暦百何年とかの時代に、かなり高度な建設技術ですよね。

養魚池。草が生えている所に水を溜めていた。

もともとこんな↓だった・・・。

ここは、HOSPITALIAといって、来客用の部屋だったようです。小さな個室がいくつもあります。

個室の中。床は、この様にモザイクの装飾が施されています。ひと部屋ずつ違うデザイン。

女神の神殿(Tempio della Venere)。

丘の上に見える街がティヴォリ。

建物はもっとたくさんあります。現地にて、実際にご覧になって下さいね。

じっくり見て回るには、半日はかかります。
1~2世紀にローマ帝国を支配した、ハドリアヌス帝を含む5人の皇帝を「五賢帝」という。
この時代は、「人類がもっとも幸福だった時代」、つまり、「パックス・ロマーナ(ローマによる平和)」と呼ばれている。
ハドリアヌス帝が関係している世界遺産、史跡はヴィッラ・アドリアーナだけでなく、ローマ市内や、地中海を取り巻く各国、各地域に今でも存在する。
旅と芸術を愛した皇帝。
その功績が、19世紀後の今でも残っているって、すごいな~。
<旅行記はまだまだ続きます・・・>