アメリカで帯同生活二回目やっています。下の息子が、3年ちょっとぶりに戻った

同じ小学校で卒業式がありました。

長い不妊治療の末、長期入院生活後、産んだ三人目、まさかアメリカで育てることに

なるとは。そしてまたアメリカに戻り、同じ小学校を卒業する日がくるとは

思いませんでした。

この日は、朝から卒業アルバムへのサイン交換のイベントがあり、

子供と一緒に朝7時過ぎから学校に行きました。

上の子のわけもわからないまま卒業になった時とは比べ物になりません、何度も

ボランティアをやっているので、顔見知りの子もいますし、幼馴染もいます。

他のお母さんとお話しながら、誰と誰が友達か、など、案外女の子とも

交換してる子がいる!など、興味深く過ごしました。

ミドルスクールに上がると極端にボランティアの機会は減りますから、お母さん達と

歓談する時間も僅かです。

さほど上手くならない英語ですが、もうネタが決まってくるので、

大体大丈夫です。こういう時は3人子供がいると兄弟の話で時間がつぶれます。

何枚かの写真ピックアップしましたが、息子が一緒に写っているのは、

アメリカンの子ばかりです。ESOLの友達はほとんどいないです。

 

空いた時間に、ESOLの女の子と話す機会もありました。アジア人のESOLの子達は

拙い英語で、何やら4人でつるんでいます。

やはり、普通に歓談する輪に入れないので、疎外感がないわけではないですが、

逆にそれがこの4人の結束を感じましたし、自分の上の子もこうだったんだな、と

思うと、気丈に生きてきたんだな。感心します。

4人が同じ言語を話せる状態ではないのに、ただ一つアメリカという地に親に連れて

こられて、ただ環境に慣れるために毎日必死で頑張っているのです

その姿に、同じESOLの身として尊敬します。

10歳も越えてアメリカに渡り順応するのは、容易な仕事ではありません、

それを多くの帯同日本人の子達はやってのけるのです。

簡単な道のりではないのに、みんなが越えています。それには、中国人韓国人の

同士のサポートが大きかったんでしょうね。

振返りの多い卒業式になりました。