アメリカ帯同生活二回目やっています。4歳半から渡米した息子は、ようは

話し始めたらすぐにアメリカに来たようなものです。

いきなり通ったこともない同じ人種しかいない学校に帰国。

みなが同じように振舞ことに違和感が最も強かったようです。

本帰国が決まってから、毎日「緑のカード」を書いていました。

「これで、〇〇くんアメリカにいれる?」「アメリカで住める?」子供ながらに

うちはグリーンカードがないから帰国しなければならない、という話を理解して

毎日グリーンのカードを作っていました。

 

思った以上に関西弁は強く、帰国後二年以上たったある日

「ねえ、ちゃうちゃうってみんな言うけど、どういう意味なんだろう」と。

それほど、方言の壁は大きかったようです。

この様々なトラブルに対処してきた機関は、「人権教育課」でした。

人が人として自分らしくあることを一番に考えれば、人種で言語を指定するのは

間違っているのです。ですが、現場の先生たちは、日々の日本語教育に追われ

日本人らしく矯正することが最大の義務だと思うわけです。

先生たちは終始無責任だったわけではないのです、彼らは彼らの義務を果たすために

ちゃんときっちり隅々まで日本語を使う普通の日本人にしようとしてくれた。

それは間違いないと思います、ほったらかしだったら、

ここまで息子も苦しくなかったでしょう。

人権を否定してまで、教育して要らない。これが伝わらなかった。

日本人の両親の元に生まれ、日本語に染まらないなんてありえない。そんな感覚

だったと思います。

ある日、息子の英語がわからなくなった日。実子に「I love you」と言われた時

その衝撃は、経験した人にしか分からない。両親でさえ、目を疑うのです。

それを、急に来た学校の先生たち全員に通じないのは

仕方がないことかもしれません。

 

ただ、人権教育については、ちゃんと考えられています。

分かる人達は、年々増えています。

もっと多岐に渡る選択肢がある、学校現場が必要だろうと思います。