もうすぐこの地区は夏休み、6月には一時帰国。

下の息子はまだ6年生なので、学校に通いたい、友達に会いたい。と。

全く順調じゃなかった日本の本帰国でしたが、それでも戻りたいと思う。。。

辛い時期に寄り添ってくれた友達は、偉大ですね。

この学校に対してどう感じているか。というと、実はこの時の

「発達障害やで」まで言った先生は、やはり問題ある方で、結局すぐ後に本当に

発達に遅れがある生徒に対しても暴言をはき、キレて暴れさせて、それを

携帯電話で録画して、「親に見せるからな!」と生徒たちの前で逆ギレ、

それに更に激高した発達障害の生徒が、廊下に走り出して、その場にいた一年生を

殴る!という事件を起こして、実質的には謹慎になり、平和な日々が続きました。

そして、学校側は何もしなかったわけではなく、実は息子の為に近隣校から、

すぐに翌年には自身が帰国子女の経験がある先生を連れてきてくれて担任に就任

させてくれました。

しかし、そんな理解深い先生なので、奥様の出産で自身が育休を取得されて

この記事の代わりの暴言先生になったのです。

また、当初両親も日本人国籍も日本の場合、サポートは支援員という

発達に遅れのある生徒と同じ扱いしかなかったのですが、

翌年から、「学習に偏りのある生徒のための持ち出し授業制度」が始まりました。

その結果、バイリンガルサポートではなく英語の時間に持ち出しで、

どういう時に困るか、何が違和感感じるのか。など親身に接してくれる時間が

持たれるようになりました。

それ以外にも、コロナ禍で新しい友達ができない、言葉の壁文化の壁があって

外遊びしかできない、なのに放課後残るのは禁止などの制約が多すぎるという

私の訴えに対しても、コロナ明けすぐから、水曜日に校庭開放日ができました。

 

もちろん、全てすぐに対応してくれたわけではないですし、そのために、

息子は意地でも英検取って見返してやる。くらいの勢いで英検準一級を

独学でとったり、息子の生活をローカル紙に取り上げてもらったりもしました。

ですが、翌年くらいには何かしらの変化が学校にはありました。

そして私たちが再びアメリカに来る直前にオーストラリアから9年ぶりに帰国した

日本人の子には、学校側は最初からバイリンガルサポートの提案をしたそうです。

 

だから、今公立学校に通いうまくいかない日々を送っている生徒さんがいたら

思います、すぐには対応してくれなくても、誠意をもって伝えることで、

少しずつ変わるんじゃないでしょうか。

あの時、意地でも休まなかった息子、英検だけは意地でも受かったこと。

そういった地味な努力が汲んでもらえる日はくるのかなぁ。と思います。

 

ですから、息子は5年生のある日「僕はこの学校で卒業する覚悟ができた」と

言いました。そして、また通いたい。と言ったんではないでしょうか。

この学校に感謝までは思えませんが、敬意は払いたいと思っています。