年中の夏から、小学2年生の5月までアメリカで、育ち、英語で自由を得た息子は

日本に本帰国した後も、生活言語は英語で、公立小学校から真っ先に帰って、

英語のYoutubeと、基本的にreadingも英語のものしか読まなかった。

コロナ禍であったこともあり、そんな変わった子を一緒に家に呼んでくれるわけも

なく、習い事だけは毎日スポーツをやらせて、外に出す以外は、家では英語のまま

暮らしていた。

日本語にさほど興味を示さない、学校の図書館でも、英語の本を探し、友達とも

積極的に話さない息子に先生は、イライラ。何度も電話があり。

家での英語を禁止もしくは制限することを提案してきた。

本人にとっては英語が心の言語なので、自由な時間まで言語規制をするのは

かわいそうだと、なんとなく様子見を続けていた。

基本的に学校では英語を禁止され、英語の時間はおとなしく座っているように言われ

一言も話してはいけない。という暗黙の了解ができていった。

最初の頃に、普通に英語で事例として前で話す機会をもらったら、上手すぎて

誰も聞き取れない。という理由で、授業中は座っているように指示された。

小学校の教員は英語担当と言っても、せいぜい英検二級で、特に英語科だったりした

わけじゃないので、どうも扱いきらないのです。

ALTだって、日本人に合わせてゆっくり母音強めに発音してくれますし。公立校では

息子の英語の需要がなかったのです。当時は持ち出しサポートも両親国籍ともに

日本の場合は、言語サポート費用がでないと言われていて、何もなかったのです。

イマイチうまくいかないまま、年明けの一月一日夜のこと、お風呂に入るように

いうと、息子が真剣に動画をみているから、待ってほしいというのです。

それは、ElonMuskのNewYearメッセージライブでした。

当時から、Elonが好きで、Elonの話をもじったyoutubeも好きで、アメリカ生まれ

アメリカ育ちじゃないこと、元はさほどお金持ちじゃなかったこと、

理想が子供じみて突拍子もないことなどからか、崇拝していたのです。

Elonだって、二言語できるわけじゃないじゃん。ってよく言ってました。

小学二年生の子供が世界一の富豪(当時一位?)にあこがれて、その言葉を

ライブでみる。折角、尊敬する人の言葉を通訳なしで、聞けるのに、

日本語に染めてしまったら、、、好きなもの好きなことをそのまま知れる方が

今周りに合わせるよりきっと幸せだろう。と強く思ってそのまま英語で

生きる道を許容しました。

おかげで、日本語を苦手だと一生思う事になったと思います。

正解だったのか、は誰にもわからないのですが、ただ息子は今も日本市場では

生きていないですね。

将来の進学や就職を考えれば無責任だったかもしれませんね。頭が痛い話です。