私はアメリカの現地校でもよくボランティアに学校にいきます。

英語ができないので、色々大変なこともありますが、やはり行くと

ちゃんと子供を見ているんだな。という認識を先生からされます。

他のお母さんに会うことがあれば、そこでも、英語ができないだけで、

子供のことに熱心なんだろうという、認識がなされます。

こういう認識が、後々色々な場面で学校の卒業記念イベントや、様々な機会に

絶対にうちの子をないがしろにされたりしないですし、何かあれば、

気にしているだろうと思って、すぐにお知らせしてくれる方がいたりします。

プレイデイトで遊ぶ時も、信頼度が違うので、英語もできないどこのどいつだ?

ということにはならないので、英語ができないからこそ顔を出すようにしています。

すると、色々な場面やペアレンツミーティングで、日本の学校とアメリカの学校

どっちがいいの?という質問は、もう日米通算すれば数えきれないほどされました。

基本的に、日本には日本式のルールに乗っ取った、外れが少なく、クオリティも

まずまず、全国各地でほぼ同じレベルの教育を受けることができる。など

良い点がありますし。

アメリカにはアメリカの良い点があります。から、まあどっちにもいいところが

あるよねぇ。ただ、うちの子達ははアメリカが良いみたいね。

という感じで答えますが。

私個人としては、やはりアメリカで育てたいです。理由はいくつかありますが、

日本の教育が時代遅れだと感じるからです。

実はアメリカの教育はこの3年ほどで急速に、自分で考えて書かせるエッセイに

移行しているようで。以前に比べて小学校でガンガン書かせています。

おそらく、理由はAIの普及ですね。AIを自由に操る年齢に達する前に、

自力で考えて書く力を身につけさせてしまおう、知識をつけることは

あとでもできるということか、文法などよりもとにかく書かせている気がします。

アメリカは答えを求めるだけがテストではないので、中学にあがればすでに授業中

計算機を使うことが許可されます。(だから君ら掛け算も満足にできないだろ!)

つっこみたくなりますが。事実計算機使ってテストやるのです。

考える過程を重視した取り組みが多く、ギフティッドクラスの宿題みていると

昔の地域調べていて、この地方のPRするための、お土産を3つ企画してこい。という

真っ白のA4用紙に、絵とアピールポイント描かすってのがあって、

本人は家族全員にアイデア出し頼むような宿題があったりします。そして。。。

スコアがつきます。(これ良くなかった!)

宿題で、なぜかよく絵を描いてます。そしてスコアつきます。

正解が不透明な課題や宿題が結構出るので、何に頑張ったらよいかわからない。も

あるし、逆に頑張ってなかったのに良い点ついた!なんてこともあったり。

Math以外の授業は日本のものに比べたら難しい気がします。

でも、色々な思考と方法で、アプローチして学ぶ過程がやはり先々役に立つのでは

ないかなぁ。とやっぱり感じるのです。

日本式の難しい知識の詰め込み勝負、みたいな日本のテスト方式には、あまり魅力を

感じない。というのが私の感覚です。

ただ、あまりにも学び方が違うので、一生アメリカじゃないのに、完全にしっかり

アメリカに染まってしまうと、日本の詰め込み式教育に適応できなくなって

しまうので、日本国籍の子供たちがこちらでのびのびすることがよいのか。

負担を増やすだけではないのか。と考えてしまいます。

 

アメリカに行って、英語ができていいね。的なことをよく言われますが、

そんな簡単なことじゃないのです。

学び方から、考え方全てが違うし、アメリカ側は外国人に慣れているので、

寛容に色々なパターンでサポートしようと努めてきますが。

日本側は、ルールにガチガチの柔軟性ゼロなので、帰国する際が一番ハードに

なってしまいます。

全てのことにおいて、日本は自分でルールに縛られて身動きできなくなっている

そんな風に感じます。

英語ができる状態でこちらに再びきたので、学び方までしっかり染まって

しまうので、後々の人生への影響ばかりが気になる今日この頃です。

色々な価値観の人にオープンな学校ができるとよいですが。

アメリカの学校は自己表現することを受け入れるし表現しない方が受け入れられない

日本の学校は、自己表現しない、奥ゆかしさが正解とされます。

また、エライ先生が書かれていましたが、日本の公立校は、同じ水準の教育を

全員に施すことが公平だと考え、アメリカの教育はその子その子にあった教育を

みなが等しく受ける権利があることが公平だと考えるという視点の違いだと。

全くその通りだと思います。

多民族国家なので、人は違うことが前提なので、個性に合わせた教育を出来る限り

みんな平等に受けられる、平等に学ぶ権利を与えることが優先です。

日本は、単一民族で宗教国家なので、全員一緒だという前提があるから、多様化する

現代に全く合っていかないのではないかなぁ。と。

うちの子供たちは、英語が使える学校を受験した方が、というお話をよく

日本語の塾の方からいただきます。しかし、どんな学校であっても、結局は

日本の文部省認定校であれば、単一民族国家にあった学校ではないのかなぁ。

とイマイチ熱くなれないのです。

そして、毎回、そもそもアメリカになんかついてこなきゃよかったよ。と

吐き捨ててしまうのでした。「帰国子女なんて育てるの、超めんどくさい」