アメリカで帯同生活二回目をやっています。

下の息子は、4歳半から7歳をアメリカでそだち。

英語で生きていた息子、日本の学校を知らずに小学2年生の6月から関西

地区の公立学校へ通い始めた。その際にあった、差別的な出来事を他の帰国子女の

方へもご紹介したいと思います。

帰国子女が多いということでこの地区を選んだので、帰国子女保護者会なるものが

ありました。しかし、小学校で英語圏から帰国しても、ほとんどの子供が日本人化

するのには困らず、年に一、二度あっても毎回英語の維持の話と、英検の話が主で

何か言えば嫌味だと思われたり、蚊帳の外扱いされたりと、日本人同士なので、

結局普通の日本人が抱える悩みじゃないと、仲間外れなのです。

また、学校では掃除をする、教科書を引き出しにしまう、授業の準備をして

忘れ物をしない。こういった当たり前のことがなかなかできない息子に、先生は

特に細かく指示をして、やる事リストを渡して、きっちり管理しようとしました。

伸び伸びアメリカで生きていた息子はこういったこともさほどちゃんどできないので

ちょっと頭が緩い子だと扱いたいのです。英検二級受かってるなんて、全く理解でき

ない。そんな感じで、家で英語を禁止してほしいと電話がかかってきました。

それは、ちょっとかわいそうで、英語でも日本語でもよいと言ってるだけで、英語を

強制はしていない。という事情を説明しました。

すると、翌日から図書館に唯一あった英語の本magictree houseを読んでいたらしいのですが、それをやんわりとやめるように言われたようでした。

この先生は、良かれと思ってやっているので、「ここは、日本の学校だから、みんな

と同じで日本語の本にしたらどう?」と言われたそうです。

ですが、息子にとっては英語を話す自分が本当の自分なのに、一種の人権否定なので

ちょっと。。。

そして、3年生の代理で来た鬼のような先生とは、登校拒否直前まで追い込まれたの

です。関西弁で、ちょっとでも行動が遅れると「お前、なにやっとんの」と怒鳴り

毎日のように素行が遅い息子は怒鳴られるのでいつしか無視するようになり。。。

「どうせ日本語わからんのやろ?」とかみんなの前で頻繁に言われるようになった

上に、ある日は廊下に連れて行って「あんた、そんなに日本語できひんの発達障害

やで!」と言ったり。ととにかく暴言の嵐で。

最終的には、教育委員会の人権教育課を介して、母語が英語だという意味を

理解しないし。。。と何度も話をして、一年半後にようやく週一のバイリンガル

サポーターを付けてもらえるようになりました。

 

ただ、それでも息子は「休んで、あいつに悪口言われたくない。僕の言った英語

一つもわからないような人間より、英語しかできない僕の方が絶対にいいから。」と

結局一度も休みませんでしたね。

英語が絶対に日本語より上だ。とそう思っていることだけは分かりました。

英語で生きれば、世界市場で生きれるんです。常に英語で最先端の情報(youtube)

も見れて、記事だってゲームだって訳す必要ないそんな軽い気持ちだったとは

思いますが、うちの兄弟はそんな感じで、日本でもメディアも兄弟間も英語でした。

実際に、世界大会的なものは全て英語で行われますよね。