今年は、去年の今頃では想像もできない変化の嵐だった。去年の年末は、職場の

上司(弁護士)と微妙に合わずに、ストレスが多くて正職員で別の事務所に転職

しようとしていた時期。夫に、4月に転勤があるから、様子見るように言われて

保留していたな。と。

地方都市で育ち塾もないような田舎から、田舎が嫌いで東京六大学の理工学部へ

進学して、大手電機メーカーのエンジニアを十年やった。

総合職のエンジニアで育児というのは、中途半端で自分には合わないと感じて

理系で開業できそうな。手っ取り早い資格というところで、測量系に目を向けて

父親が弁護士だったこともあり、マイナーな土地家屋調査士という資格を

三十路前に仕事の片手間で取得して育児の傍らやるつもりで、いたのに。。。

不妊治療しないと子供は産めないし、流産は何回もするしで、結局出産に

十年もかかってしまい。もたもたしていたら、米国転勤。

 

やっと帰ってきた!と即弁護士事務所の補助者のパートをやっていたら、ボス弁護士

が研修から帰ってきたら、ちょいちょい言い方がハラスメント気味で、ストレス

溜まりまくり。郊外の個人の事務所だと、弁護士といっても六大学並みの大学出、

大手企業の経験もないし、英語も英検二級で片言英語。

学歴が僅差の私には、他の補助者の人より当りがきつかった。期待が大きい、という

のがあって、の発言なのでハラスメントのつもりはないと思いますが。

一月末にコロナで寝込んでると換気用の窓をあけられて、「アメリカ転勤だから。」

と言われて、長女の高校受験、次女の中一期末テストを終えて、3月入ってからの

子供たちへの転勤報告。みんなそれぞれ行きたい行きたくないと。

内示が出ていた事務所へは平謝りで、断り。

子供たちへ知らせてたった三週間で夫が渡米し。高校入学、定期テストを終えて

息子が熱を出しながらの引越し。本当に大変でした。

 

今、アメリカの生活が立ち上がって、大変だったな。と思い返しています。

アメリカは永住はないので、元々も日本人らしくない変わった息子なので、

どうやって帰国後生きていくのかが今から心配です。

私が30まで自分のために男性にも負けずに色々頑張ったのはなんだったのか。

男女平等といいますが、帯同妻だけは対等じゃない。附属品です。