【60日間チャレンジ/day19】悲しみとともに生きていく | 喜ドラ愛楽〜Enjoy BAKU LET'S LIFE〜【別館】

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今日は朝から定期通院からの

けーこ先生主催の手帳カフェに

午後から参戦

からの、今シーズン初の観戦に

ハマスタ向かい中。


試合後、祝杯かやけ酒か

浴びる可能性があるのでw

今日は早めに書いておくよ。

うむ、ぬかりないw


たまたま気になるなーと思って

見始めたドラマは

冒頭から人が死ぬシーンが多くて。


一体何を伝えようとしてるんだろー

なんて思う。

その答えはまだわからないけれど。


あっちゃんの魂さんと一緒に

過ごしているけどね

やっぱり肉体が旅立ってしまった時のこと

思い出すと苦しい。


こんな気持ちは私が死ぬまで

続くんだろうなって思う。


みんな死ぬのにね。

100死ぬのに。

自分だけがこんな目にあってるんじゃない。

冷静に考えたら。


それでも、なんでやねん!

なんでこんなに早いんだよ!って

心は叫ぶ。


昔、吹奏楽をやっててね。

高校のOBバンドに長いこと

所属していた時期があったの。


当初はほんと人が少なくてね

だいぶ上のOBの先輩たちと

和気あいあいと楽しくやってた。


だけどOBだけじゃ

人も集まらないからって

一般バンドとしてメンバー募集しよ!

てことになって。


人数も少しずつ増えて、

みんないい人で、仲もよくて

毎週の練習で集まるのが楽しかった。


そんな楽しい日々を過ごしてた頃

ラッパの6つ上の先輩が

「最近ラッパ吹くと心臓が痛くなるんだよね」

なんて笑いながら言ってて


みんな、心配だから

病院に行け!って言ってたんだけど

彼は病院に行かなかった。


病院行ったら、ラッパ吹くの

ダメって言われるの

嫌だったんだろうな。


そんな、いつも元気で優しかった先輩は

私が24歳の時、最初の結婚を控えた夏の

定期演奏会の本番中に当然倒れて

帰らぬ人となった。


当時30歳、

私は24歳。



野球も好きで

大洋ホエールズファンで

たびたび大洋の応援に行ってた先輩。


あの日のこと、今でも鮮明すぎるくらい

覚えていて、

一瞬であの日のあの楽屋に

タイムスリップしてしまう。


あれからもう20年。

思い出す頻度は少なくなってしまったけど

思い出すといまでも胸が苦しくなる。


その日の母親とのやりとりで

忘れられない一言まで思い出すと

悲しいし、殴りたくもなってくる。


いつか絶対死ぬ、っつったって

いくつで死のうが、

その日のことを思い出すのは

やっぱり悲しいし

何年、何十年経ってもツライ。


関係性が近ければ近いほど

残されたものの悲しみは

癒えることがないのかもしんない。


それでも、生きてんだよね。

生きていける。


悲しみを感じながら

悲しみとともに

悲しみを持ったままで。


時々ね、全てが面倒になって

ぜんぶどうでもいいような気がしてきて


もし、簡単にあっさりぽっくり

死ねる方法があるなら


ふと、あっさり死んじゃおっかな

なんて思うことも、ある。


ま、冷静に考えて

そんな方法ないから

やらないんだけど。


死ぬ時は、死ぬ。

周りは辛いけど

みんな死ぬ。


だったらそんな

急がなくてもいいし


いつ最期の時がくるかなんて

誰にもわかんないんだから


それまでに

肉体があるうちに

やりたいこと、やっとこ。って思う。


明日死ぬかもしんないのに

老後のことなんて

考えてらんないし


来年日本がどっかの国の

植民地になるかもしんないじゃんw


いつかやりたいこと、なんて

別にやらなくてもいいことなんだ。


こうやって書いてると

なーんか生き急いでる感満載だなw


ま、それでもいいわ。

それが自分のペースだから。


病んでた頃よりは格段に

現実を見られるようになってきた。

これでもね。


面倒くせぇなって思うこともあるけど

自分の生きる世界は

自分で創る。


もう他人の人生を生きるのは

ごめんだからね。


あと1日か、40年か

残された日はどれくらいか

わかんないけど


最期の時は

爆笑しながら死ねるように

地球での日々を楽しくすごそう。


それが自分のミッションだから。